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オートバイの旅日誌(15) USA [3-USA]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(15)-1976/09/22 USA


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1976/09/22    QUEST
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 夜明け前の星空は非常に美しかった。初めて無数の星を見た。しかし、夜が白むとともに雲が広がり、寒い朝になった。朝露でテントは雨に打たれたように濡れていた。
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 ハイウェイ1号線は40号線にかわり、モントリオールに入った。迷子になりそうだ。インターチェンジがあるたびに、どっちの道を選んでよいのか迷ってしまう。
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 下町へ行った。町の人はすでにコートを着ている。ガススタンドの事務所にはヒーターがはいっていた。
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 寒かったのでカフェーに入る。人々はフランス語を話していた。フランスの音楽も流れていた。道路標識もフランス語だ。EASTがESTになりWESTがQUESTになっている。
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 この大都市の下町は汚い。つば、タバコ、紙くずを平気で路上に捨てている。(ごみの多いところは危険だ。盗難に気を付けよう。)
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 カフェに入った私は、窓から絶えず自分のバイクを見張っていた。落ち着て日誌を書くこともできない。
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 人間をじっくり観察したかったが、そんな贅沢な気持ちは捨てて町を出た。すぐに雨になった。20号線のエキスプレス・ハイウェイでケベックへ向かう。大きなビルや民家にはカナダ国旗が揚がっている。雨が降っても揚げたままだ。
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 ずいぶん走ったが、キャンプできそうな場所がなくて、とうとうケベックの手前まで来てしまった。ガススタンドに入って、おそるおそる裏庭でキャンプしても良いかと聞いてみた。(この時は、人に尋ねるのが嫌になっていた。オタワで日本大使館を探しているとき、歩道を来る紳士に「あのー、ちょっと・・・・」といったら、反対の方へ顔を向けて行ってしまった。その紳士は汚い姿をした風来坊から声を掛けられて、プライドを傷つけられたのかもしれない。)
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 ところが、スタンドの主人は「いいよ」と簡単にOKしてくれた。
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1976/09/23    メイン州
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 簡易テントの一部が破れていた。2年間使えるかどうか心配だ。8000キロの時点でスパークプラグを新しいものに変えた。マイナスの電極がすり減っていたからだ。
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 登山用のソックスに履き替える。羽毛の手袋を付けて出発。2時間ぐらいの走行でケベックに着いた。町の中心地へ入っていくと城壁にぶつかった。旧市街地だ。世界共通のバイク進入禁止のマークがあった。中にはいれなかった。城壁の奥に昔の町並みがあった。ヨーロッパ風の細い街路をはさんで、レンガ造りの家が並んでいる。
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 この町はフランス語しか通じない。カフェを探しているとき、男が英語で話しかけてくれた。非常にうれしかった。この時ほど英語が身近なものに感じられたことはない。
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 カナダで使用した金は290ドルだ。約50日で、1日当たり6ドルという計算だ。もう少し節約して、せめて1日千円ぐらいにしたい。(当時USA1ドル=300円)
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 ケベックからルート173号線を南下してUSAへ向かい、カナダ最後の町アームストロングに着いた。ガススタンドとモーテルがあるだけの寂しい町だ。国境の町らしく、寒々としている。
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 カナダ・アメリカの出入国は簡単だった。
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 寒くて雨の多いカナダから、いよいよアメリカのメイン州に入る。しかし、雨は降り続く。もう疲れた。アメリカ最初の町ジャンクマンについて、ガススタンドの裏庭でキャンプする。
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1976/09/24   妹のミッシェル 
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 スノーモービル用の大きな手袋をしてからは、指の痛さから逃れられることができた。どうも足先の防寒はだめだ。痛くて仕方ない。靴の糸が切れて穴があいてしまっている。
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 カフェに入ったところ、みんなが英語を話している。USAだ。(あたりまえだ。)壁に張り紙があり、コーヒー25セント、飲食税2セントとある。このメイン州ではコーヒーにも税金がかかるのか。
 USA1号線に出るまでの2級国道は起伏が激しく、カーブがきつい。広葉樹林が続いて美しいが、見飽きてしまった。広葉が進み、葉が落ち始めている。
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 USAハイウェイ1号線を南下して、今夜の寝場所を見つけるのは難しいだろうなと思った。アメリカ東海岸は、ハイウェイに沿って町が続いているので、とてもレストエリアや空地を見つけることはできそうにない。ポートランドを過ぎて、やっと野外映画場の前で大きな空地を見つけ、うろうろしているうちに深い砂地にはまり込んでしまった。一苦労して脱出したが、これ以上動くのが嫌になり、そこにテントを張った。道路から10メートルも離れていないから、すぐに人に見つかりそうだ。
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 案の条、車の停まる音・・・そして、「テントから出て来い。」と怒鳴る声。ブルーの制服を着た太ったポリスだった。夕食を食べ終わったら、すぐ出ていけ。と追い出されてしまった。初めての夜の走行だ。街路灯のないハイウェイは、バイクのライトででは暗すぎてこわかった。
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 郊外の畑の中に、ぽつんと一軒のサンドイッチ・レストランを見つけ、食べたくもないサンドイッチを買って、店の裏で寝かせてもらった。草が高く茂ったところで、寝袋の上にテントを被せて寝た。
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 次の日の朝、テントは霜が降りて真っ白になって凍っていた。バイクも荷物も霜を被って真っ白だ。しかし、雨合羽を着たまま寝ていたので温かく、ぐっすり眠った。
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 バイクの調子がすこし悪くなった。回転が上がらない。点火ポイントのタイミングが狂ったようだ。
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 アラスカで会ったジョージの実家があるロードアイランド州に着いたので、ガススタンドから電話してみた。ジョージはまだ戻っていなかったが、ジョージが手紙で私のことを知らせていたらしく、彼の母親がすぐに迎えに来た。
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 家には妹のミッシェルがいた。母親は平凡な日本の母ちゃんという感じの人だった。父親は、ボクサー、軍人、ポリスといった職を経験した非常に大きな人で、握手する力も強く、手がしびれた。
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 家族は大いに歓迎してくれて、ジョージの変わりに姉のデニスと妹のミッシェルが私の相手をしてくれた。
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 夕方、市内観光へ連れていかれ、そして家で大きなステーキの夕食。9時になったので眠たせてくれるかと思ったら、今度はディスコで、ミッシェルを相手に一時過ぎまで踊らされた。

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オートバイの旅日誌(16) USA [3-USA]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(16)-1976/09/26 USA


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1976/09/26    ニューポート
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 昨夜は遅かったが、朝6時には目が覚めてしまった。いつも夜明けとともに起きる習慣になっていたので、部屋が明るくなると目が覚めてしまう。日曜日だから誰も起きていないようだ。10時頃までベッドに転がって、今日までの旅のこと、これからの旅のことを考えた。
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 朝食は、ベーコンをカリカリになるまで焼いたものと目玉焼きだ。姉のデニスがまたやってきた。私をどこかに連れて行くらしい。彼女の友人ジャッキーも一緒に行くことになった。楽しい人で、大声で話をする女性だ。あちこち兄弟や友人たちの家に次々と連れていかれた、私は何回も同じことを話し、疲れれてしまった。あのジャズ・フェスティバルで有名なニューポートへも連れて行ってもらった。
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1976/09/27    ビルのパーキング場
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 昼からドライブ。車の中で、私は黙っていることが許されない。私が日本からやってきた旅行者だからこそ、皆がこんなに歓迎してくれるんだ。だからこそ、私もそれにこたえて楽しい時間を過ごすようにしなくちゃいけない。(しかし、疲れるよ。)
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 次の日、朝早く出発の準備をしようとこっそり起きたのだが、お母さんが気が付いたらしく、起きてきてしまった。朝食を終えるとデニスもやってきた。デニスは28歳で、日本の女の子のような顔形をしている。彼女は二人の子供がいるというのに、この3日間ずっと私の相手をしてくれた。家の方はどうなっているのだろう。彼女の旦那が子供の世話をしているらしい。写真を何枚も撮ってもらい。皆からキスを山ほどもらった。
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 ジョージのお母さんもキスをしてくれた。お母さんは自分の母親のように、セーターの穴を見つけては直してくれた。洗濯するものはないかとか、食料を持って行けとか、Tシャツを持っていきなさいとか、親切は涙が出るほど嬉しかった。
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 USハイウェイ1号線を南下する。町がづっと続く。そして夕方まで走ったが、寝る場所が決まらない。バーに入って、グラス1杯30セントのビールを飲みながら「どこかにキャンプできそうなところはないかな」と誰となく来てみた。
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 酔っぱらった男が、前にビルのパーキング場で寝たらよいと、とんでもないことを教えてくれた。私もその気になった。事務所が一軒だけ開いていたので、そこにいた女性に「今夜、この裏の駐車場でキャンプしても良いか」と聞いたところ、私の所有地ではないから、返事ができないという。
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 その女性は、このあたりにキャンプ場もないことを知っていて、どうしたらよいか考えてくれた。そこで私が「それじゃ、今夜は裏で寝ることにしますので、誰にも言わないでください」と頼むと、彼女はにっこりとうなずいてくれた。


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1976/09/29   ヨードチンキ1滴
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 スパークプラグを新しく取り換えて、寝場所を求めて南下する。家がますます混んでくる。このままニューヨーク、ワシントンDCへ向かっていいものだろうか。
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 しばらく進んだところでカフェーに入った。そして、ここで非常に気分を悪くした。私の姿が汚すぎたのか、有色人種に対する軽蔑なのだろうか。店のカウンターに座ってコーヒーを注文すると、その店の主人らしき男が、早口で何かしゃべっている。
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「何ですか。」
「ミルクはいるのか。」
「はい、ミルクと砂糖を入れてください。」
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 男はさあ飲め、といわんばかりにテーブルの上にカップを投げるようにして置く。ガチャンという音とともにスプーンが皿から飛び出す。
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「他に何かいるか。」と面倒くさそうにきく。
「ノー。」
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コーヒーを飲み終え、手紙でも書こうとしたら、またしても怒鳴る。
「他に何か注文するか。なければ、出て行ってくれ。手紙は家に帰って書け。」
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 私は何も言わずに出ていくことにした。店に主人は他に客が2人いたので、言い過ぎたと思ったのか、言い訳がましく言う。
「なあ、俺は忙しんだ。ずっと、ここに居てもらっては困るんだ。」
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 コーヒー一杯飲んだだけだが、その間、常連らしい若い娘が来た。コーヒー皿を渡すときに娘の手を握り、鼻の下を長くして、醜い顔をほころばせる、いたらしい男だ。
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 金を払って店を出るとき、別の店員が「ごめんね」と言っているように思われ、すこし気を取り直した。
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 町並みがとても混んできた。これ以上進んではキャンプできなくなると考え、ニューヨークからルート80号線を西へむかった。目標はクリーブランドだ。郊外で大きな空地を見つけ、キャンプする。今夜も寝るとことが見つかって嬉しかった。
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 ある店でもらった水がすごく濁っている。白い変な不純物も浮いている。カビの生えた餅を食べたときのいうな味がした。1リットルぐらい飲んでから仁丹3粒を、ヨードチンキ1滴を落としてみたら臭い味がなくなった。


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1976/09/30    サインしろ
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 少し寄り道して州立公園へ行ってみる。キャンプ料金が必要かどうか確かめるためだ。その山の上にガススタンドがあり、補給したところ、サインしろという。(変な旅行者がやってきたので記念にするつもりだな。)喜んでサインしてやった。4リトル。60セントのガソリン代はいらないという。たった60セントだが嬉しくて握手して別れた。
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 山の中は紅葉が美しく。冬はもうそこまで来ていた。急がなければ・・
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 4時ごろ国立公園のキャンプ場へ行ってみたが有料だった。さらに進み、工場の中で許可を得て、キャンプすることができた。
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1976/10/01    アメリカの銀行
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 トゥワンダの町でミッションオイルの交換をする.
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 100ドル札は使いにくいので、銀行へ行き、両替してもらった。20ドル札が一番使いやすい。100ドル札を15枚差し出すと、女子銀行員は一枚一枚数えて、「はい、1400ドルですね。」とあっさり言う。こちらもつられて「うん」と言いそうになるぐらいだ。本人はちゃんと数えたつもりなのだろうか。それとも、計算に弱いエスキモーかインディアと思って、一枚猫糞するつもりだったのだろうか。銀行員が一回しか数えないで、それもわずか15枚の札が数えられなくていいものかな。一枚といっても100ドルだ。3万円だ。すでに3回ぐらい同じ経験をしている。アメリカの銀行は信用できないぞ。

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オートバイの旅日誌(17) USA [3-USA]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(17)-1976/10/02 USA


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1976/10/02    畑の中に空地
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 ますます陽が短くなり、7時過ぎにならないと明るくならない。昨夜は英語の夢を見てしまった。たくさんの夢を見たが、思い出したくない種類のものも多かった。
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 今朝は腹が重たく感じられる。100ドル札を20ドルに替えたので、75枚の札を腹に巻いている。少し多すぎた。それらは非常に汚れた紙幣で、新しいものをくれといっても、そんなものはないと言われてしまった。
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 古い紙幣は、アメリカ以外の国へ行ったとき、両替してくれなかったり、レートが低くなるので注意しなくてはならない。また、額面の低い紙幣は両替レートも低い。また、テープを張って修理してあるような紙幣はまず両替してもらえないから、要注意だ。
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 9時ごろ、ある田舎町へ入った。町は非常にきれいだった。しかし、人の姿はないし、車もあまり通らない。死の町のような感じを受ける。
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 ああ早く、アリゾナ、ユタ州の何もない世界(気温が高い砂漠の土地)へ行きたい。!!
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17000キロを超えて、バイクのパワーが落ちたような感じだ。カーボンが溜まったらしい。シリンダーとマフラーを外して掃除をしなくてはならない。最初の頃は6速5速が主なギヤだったが、今は5速4速を主に使用している。
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 USハイウェイ6号線を西へ向かい、畑の中に空地を見つけ、許可を得てキャンプができた。そこの主人と農業の話をして、トマトやトウモロコシをいただく。
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1976/10/03    ヨットクラブ
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 アラスカで知り合った人を訪ねるため早く出発した。すごい霧だ。さっぱり前方が見えない。シールドを外して走ると見やすいが、目が痛む。前方はいいとしても後方からの追突が怖い。左ウインカーランプを点滅させて進む。わずか100キロばかりの道を4.5時間もかかってしまった。
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 2時ごろ、クリーブランドに到着。町の東側はスラム街らしい。非常に汚い。黒人が多い。そのスラム街でガススタンドに入った。みんな親切だ。これから探していくロックリバーの場所を教えてくれた。黒い温かい手と握手して出発する。
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 突然、訪問したのでは失礼になるので、電話したところ、すぐに夫人が迎えに来てくれた。
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 夜、主人のジェリーがメンバーであるヨットクラブのレストランへ連れて行ってくれた。この家も週末は外で食事をするらしい。
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 ジェリーの家は大変裕福だった。みんな個室を持ち、来客用の部屋もあった。トイレは1階と2階に計4つもある。一人息子のバックは非常にバイクに乗りたがっていたが、夫婦そろってバイクは危険だと反対している。
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1976/10/05    ガレージの中
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 以前に手紙を書き、ぜひ来るようにと返事をもらっていたタイヤ会社を訪問する。広報部は粗末な建物で、路上で迎えられた。立ち話だ。別に建物の中にはいるように勧めてもくれない。役職の人に紹介するわけでもない。無理に会社のワッペンを渡され、さらに気分を悪くした。手紙をくれた人が昼食を食べようと家へ連れていかれた。ピーナツバターを塗ったパンが2枚だった。招かれていない客の私は、そうそう退却することにした。
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 延々とトウモロコシ畑が続く。50キロおきにレストエリアがあるが、「キャンプ禁止」とある。そこ以外には、まったくキャンプができそうなところがない。勇気を出して、ある農家へ行ってみた。牧草地のはずれでキャンプさせてくれないかと頼んだが、もちろんノーと大きな声で断られた。
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 もう一軒いてみたが「今夜は雨が降るんだ。忙しいからだめだ。だめだ。」とものすごい剣幕だった。
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 疲れていて、もう進むのが嫌になったので、道路と畑の間で草地で寝ることにした。もちろんテントを張るわけにもいかない。すぐにポリスに見つかってしまう。
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 暗くなるまで待て、テントを被って寝た。と同時に大粒の雨が降り始めた。雨水が体の下に入り込んでくる。でも、どうしようもない。
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 9時ごろ、一台の車が近づいてきて停まった。(ポリスがやってきた。)と思った。テントをめくって、覗くと若者だった。
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「雨が降っているし、この道はよくポリスが通るから、俺の家のガレージで寝ないか。」
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私は、すぐには返事ができない。
「そんなことしたら、あんたの家が迷惑だろう。」
「君は、ここが良いのか。」
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 雨に濡れながら寝るなんて、少しも楽しくない。彼の言葉が非常に嬉しかった。
 彼の家はすぐ近くだった。家の方向が車の向きと反対だったところから、雨が降りだしてから私のためにわざわざ来てくれたようだ。
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 彼の名前はポニー、21歳。奥さんはジョニー、20歳で、4か月前に結婚したそうだ。ジョニーが焼いたブルーベリーのパイをいただきながら、結婚式の写真を見せてもらう。10時半、ガレージの中でテント張って寝る。
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1976/10/06    一緒に夕食を
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 ポニーはまだ星が見える早朝、テントの中で寝ている私を起こさないように、静かに車を出して大学へ出かけて行った。
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 この日も雨だった。雨雲を避けながら、南に下ったり、西へ行ったりして、南西へ向かって走った。
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 グリーンスブルグの町でガスを入れたとき、店の主人が、一緒に夕食を食べないかと言ってくれた。ところが、彼が奥さんに電話したところ、その話はご破算になってしまった。彼はきまり悪そうな顔をしていたが、私は十分うれしかった。
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 夜、バイクの整備をする。チェーンがのびてしまっていた。1コマ切って、張りを調整する。

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オートバイの旅日誌(18) USA [3-USA]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(18)-1976/10/07 USA


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1976/10/07      バイクの選択
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 USハイウェイ421号線からケンタッキー州に入る。さらに42号線を通ってルイビルに行く。だいぶ南下したものの、やはり寒い。空はどんよりと曇り、12時ごろでも4時過ぎのようなに感じられる。
 昼すぐにバイクの調子が悪くなってきた。6000回転以上回らなくなった。アフターファイヤがすごい。(今夜はまたポイントとプラグを調べてみなくては・・・。)
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 ケンタッキー州は、やはり馬の土地だった。牧場の中でよく馬が遊んでいるのを見かけるようになった。
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 カナダでは、人の手がまるで入っていない大森林が、いたる所にあったのに、アメリカでは森なんでどこを探しても見当たらない。時おり、小さな林があるぐらいだ。畑と牧草地ばかりだ。よくまあ、こんなに広大な大地を開拓したものだ。おかげで私の寝場所がない。日によっては、バイクを停めて昼飯を食べるところさえない始末だ。
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 この頃は、キャンピングカーもバイクツーリストもあまり見かけなくなった。もう冬なんだ。バイクで走っているのは私ぐらいだ。早く暖かい土地へ行きたい。
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 6時になると暗くなってしまった。川岸で寝ながら、バイクの選択に関して考えた。いつも100キロ以上のスピードを出しているから、回転数が高く、ポイント、プラグの整備が大変だ。これを考えると、マグネット点火の方がよいようだ。スペアーパーツに関しては、単気筒の方が部品数が少なくてよい。第一安上がりだ。
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 アメリカでは、ロードタイプの排気量に関しては、250ccより400ccクラスの方が、よく市場に流れていて、パーツの入手も簡単である。400だったら回転数をあまり上げる必要もないし、エンジン関係の部品の消耗も少ないだろう。
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 2サイクルのバイクに関しては、たえずエンジンオイルの補給が必要で、いつもオイルを携帯していなくてはならない。また、2サイクルオイルは高い。そして補給するとき、シートの下だから荷物を全部おろす必要がある。しかし、4サイクルもタペットやバルブの調整の仕事が増える。
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1976/10/09    2万キロの点検
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 夜中に雨が降ったが、朝には良い天気になっていた。しかし、走り出すと、やはり足先が痛いほど寒い。メンフィスへ急ぐ。
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 アメリカの交通信号は見にくい。たびたび信号無視をしそうになった。日本だっら信号機のあるところには、白線があるのだが、こちらは何もない。停止ラインさえないのが普通で、ただ、センターラインが切れているだけだ。また見にくい原因の一つは、信号機の位置が決まっておらず、探さなくてはならない。両サイドの歩道の上にあったり、交差点の真中にあったり、上からぶら下がっていたりする。
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 もう一つ、アメリカの町で気が付いたことは、その不経済な町の構成だ。人は車に乗って移動するのが常識になっているので、100メートルの距離でも車に乗っていくように思われる。買い物も車で行くのだから、近くに店がある必要がない。だから、町の郊外の山の中にカーペット屋があったり、バイクの販売店があったりする。
 町の密度は非常に低く、平屋の店がだらだらと続く。店と店との間隔は非常に離れていて、1つ1つの店の敷地が非常に広い。とても商店街といった形態ではない。また、店の看板が大きいため、全体として非常に粗雑な町の印象を受ける。
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 メンフィスの50キロ手前で空地を見つけ、1時頃だったが、早々とキャンプすることにした。いつも寝場所を探すのに苦労するので、昼を過ぎたら探し始める習性が付き、キャンプする時間がだんだん早くなってきた。
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 アメリカには、もちろん立派な有料キャンプ場がいたるところにある。「KOA]という大きな組織があり、全米でハイウェイを走っていると簡単に見つけることができる。キャンプ場内にはシャワー室、水洗トイレ、コインランドリーなどの共同施設の他に、それぞれの場所には水道栓や電機のコンセントがある。ほとんどが大型キャンピングカー用に作られている。
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 テントを張り終えてから、すぐにバイクの整備を始める。2万キロの点検だ。シリンダーヘッドを外してピストンリングのチェックとカーボンの掃除だ。安い船外機用のアウトボードオイルを使用していたので、エンジンは過熱気味だったらしく、ピストンには全くカーボンの付着がない、乾燥した褐色の色だった。ピストンピンにはすこし筋がはいっていた。
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 地面の上での作業だ。風が吹いたりするたびに、砂が飛んでピストンやシリンダーにくっついた。また、暗くなる前に終えなくてはならないので、まったく落ち着いてできない。
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1976/10/10    綿畑
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 朝6時、まだ真っ暗だが、あと30分もすれば明るくなるだろうと出発の準備にかかる。すべての荷物をバイクに乗せ、ゴムひもを回しているとき、足場が悪かったらしく、バイクが横倒しになった。いつもは、なんとか立てるのだが、今朝は力が入らない。荷物を全部おろす。目が覚めたばかりで、気合が入っていない。次の瞬間、今度は反対側にひっくり返った。こんなことをしていて、バイクの上に荷物を固定し終えたときは、もうくたくたになってしまった。
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 昨夜の整備で、ミッションに少し砂が入ったようなので、オイル交換を次の町でやった。
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 リトルロックに近づくにつれ、綿畑が増えてきた。住民は貧しいようだ。カーリスルの町で空地を見つけた。道路の反対側に男がいたので、キャンプのことをたずねてみようと思って、近づくと、男は逃げてしまった。よそ者がこわいのだろうか。今までのアメリカと、ずいぶん様子が違う。
 その後、家から別の男性が出てきて、キャンプを許してくれた。その家も貧しかった。
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 その空地はごみ捨て場だった。あちこちから白い煙が上がっている。そんな中でテントを張り、スペアパーツの点検をする。長い間、雨中の走行が続いたので、ほとんどのパーツに錆が浮いている。シリンダー、ピストンリングも錆びていた。削ったり、オイルを塗ったりしているうちに暗くなってしまった。
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 朝の寒さは厳しいが、昼過ぎの日差しは強くなり、朝のままの姿では暑いぐらいになった。

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