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オートバイの旅日誌(19) USA [3-USA]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(19)-1976/10/11 USA


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1976/10/11    小さな郵便局
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 一気にアーカンソー州のリトルロックまでやってきた。だんだん暖かくなる。この後、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州と進むにつれ、天気が良くなり、暑くなる。寒いより暑い方がよい。
 地図を見るとあちこちに公園やピクニックエリアがある。今日は簡単に寝場所が見つかりそうだ。
 ハイウェイを走る車もほとんどない。起伏の激しい道を飛ばしていると、少しへこんだ反対車線のところにポリスカーが駐車していた。その前を100キロ以上で通過していく。バックミラーをのぞいたら、車は砂ほこりをあげて、Uターンし、追っかけてくる。ポリスカーは、私がすぐにスピードを落としたので、追い越してそのまま行ってしまった。(助かった。)
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 良いキャンプ地が見つかった。湖畔のピクニックエリアで、誰もいない。キャンプ禁止の立て札もない。素晴らしい場所だ。
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 夜は非常に静かだ。あまりにも静かすぎて、紅葉した葉の落ちる音に驚く。空き缶の中に落としたタバコの吸い殻がコーンと大きな音をたてて響く。
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 100キロの距離を1時間半ぐらいかけて、オクラホマにはいった。
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 ブロッケンボーンの町で日誌をフィルムを実家へ送ることにした。小さな郵便局へ持っていくと、男はそこにあるテープで巻けという。巻いて持っていくと、今度は税関申告書を書けという。
 申告するようなものはないというのに書けという。<たくさんの手紙と使用フィルム>と書いた。価格のところは何も書かなかった。男はしつこく値段はいくらだと聞く。
 私は手紙とフィルムだけだと言い張った。男は勝手にフィルム1ドルと書いた。それから手紙はいくらだという。私は「手紙だよ。値段なんかないよ。」という。男は勝手にしろとこちらに投げた。私は彼の方へ押し返すと、男は1ドルだという。私もやけくそになって、「そうだよ。」と怒鳴る。
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 彼は、用紙のすべてを記入しなくてはいられない男なのだろう。ゼロ以上の数字でなくてはいけない。だから、1ドルだ。料金も3ドル80セントで、今までより非常に高い料金だった。たぶん地球を一周してから日本へ着くのだろう。
 (その後、実家から私のところへ来た手紙には、日本の税関で課税されたことが書かれていた。)
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1976/10/13    ガラスの割れた窓
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 靄が幾筋にもなって漂っている牧草地を進むのは快適だ。
 アドモアの町を過ぎると、赤い地肌が見える。やがて放牧地になった。牧草以外は育たないような土地だ。茶色の牛がまばらに草を食べている。そんな牧場の中に油田ポンプのヤグラがあちこちに見える。やっぱりオクラホマだ。
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 グランドフィールドの小さな町でガスを補給する。2つあるスタンドアイランドのうち、1つは「セルフサービス」とある。店員がいれるのか、自分で入れるかの違いだ。
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 ダビッドソンの小さな町からレッドリバーを渡り、テキサス州にはいった。クロウェルの町を過ぎると、あの西部の大平原が現れた。枯れ草が点々と生えているだけだ。低い山が遠くの方にかすかに見える。半砂漠の世界だ。
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 レストエリアでキャンプすることにしたが、昼過ぎの太陽はまだ非常に厳しく、日陰を求めてキャンプするようになった。
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 チェーンが非常に痛んだので交換。エンジン側の歯車も緩んでいた。2リットルの水が残り少なくなっていたので、近くの農場へ行ってみた。誰もいない。他に2軒ほど回ってみたが、捨てられた農場だった。ガラスの割れた窓、はがれた板壁、錆びた農機具に、この土地の厳しさを知った。


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1976/10/13   荒野
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 7時になってもまだ真っ暗だ。本当に夜明けが遅くなった。ここから20キロ先のニューメキシコ州にはいれば、マウンテンタイムになり、1時間遅くなる。
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 日本から非常にたくさんのパーツを持ってきていたが、チェーンを新しいものに取り換えて以来、これからの旅先での必要になるパーツが心配になってきた。予想以上にパーツが必要になりそうだ。アメリカを出てから、ヨーロッパに着くまでパーツの補給ができないと考えた方がよい。例外としてベネズエラでは補給できそうだが、非常に高いらしい。
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 これから先の行程は、旅費の問題ではなくて、どれだけパーツを持っていくかだ。必要なパーツがなくなった時が旅の終わりだ。消耗パーツをどんなふうにして補給するかだ。タイヤ、チェーン、歯車は1万5千キロでだめになる。だから、チェーンが伸びないようにと、90キロ以下のスピードを保ち、ローギアでは回転を上げないように努めた。
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 ロスウェルの町まで荒野を進んだ。この町を過ぎてルイドンへの道は、谷の中を登っていった。禿山が続くが、谷の中だけは果樹の緑で覆われていた。リンゴを売る店が並んでいる。禿山の続く中に自然林が一部残されていて国立公園になっている。松の木が茂っているのが不思議な感じだ。
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 この禿山地帯に入ってから、民家の構造や素材が変わってきた。北東部アメリカの板壁に家が、ここではレンガと土の壁だ。形も非常に単純で、長方形で切妻屋根だ。色も白一色。北東部のように赤、黄色、白色などで塗った色鮮やかな家はない。
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 生活が裕福でないことは、ガススタンドでもわかる。ポンプが非常に古く、手動ポンプであることもあった。
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1976/10/16   入場料
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 ホワイトサンド自然公園へ行く。白い砂の砂漠が広がる。入場料が1ドルもしたので入らなかった。私にとって地球全体が公園のようなものだ。わざわざ点のような小さな公園・・・柵の中にはいる必要はない。


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1976/10/17   ニューメキシコ州
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 昨夜はシーズンオフで無料になったキャンプ場でテントを張った。そして、今朝、トイレへ行ったところ、その中にシャワー室があったので、ためしにコックをひねったら、熱い湯が出るではないか。朝風呂を浴びて、いい気分で出発する。
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 北部を旅行していた連中が、南へ下ってきたらしく、バイクの旅行者たちとよく出会うようになった。
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 シルバーシティを過ぎ、大きな銅の露天掘りの現場を見ながら、ロッキー山脈を超えて行った。素晴らしい景色だ。日本的なきめの細かい美しさではなくて、けた違いのスケールの大きな美しさだ。
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 ほとんどが半砂漠の乾燥した土地のニューメキシコ州では、樹木のあるところは森林公園になっていた。

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