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オートバイの旅日誌(2) アラスカハイウエー(canada) [1-アラスカハイウエー]


オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌



(2)-1976/08/10 アラスカハイウエー(canada)


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1976/08/10  北極圏
  
 ドウソンクリークからアラスカハイウエーに入った。ジェットコースターのようにダート道が樹林の中を突き進む。道幅は広くてよいのだが、道路工事をしていて、水をまいたり、ブルドーザで路面を削ったりしていて、おまけに削った土砂を、また路面に撒くものだから、表面はフワフワになっていた。四輪車はいいかもしれないが、こちらは石は飛んでくるし、ハンドルは取られて転ぶし、大変なハイウェイだった。雨が降った後は、その土砂がつるつる滑って、何度も転倒することになった。
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 しばらくひどい道が続いた。穴ばかりで後ろから車が80キロ以上のスピードで追いかけてくる。追い越されると石を飛ばしてぶつけられるので、同じスピードで逃げる。
 途中、道路工事があって、車が5台ほど停まっていた。自分もその後ろに並ぼうとして転倒、膝を痛めてしまった。前のキャンピングカーの青年が大丈夫かと聞くので、「ヘルプミー」と叫んだ。3人がバイクを起こすが、荷物が満載だ。そう簡単には起きてくれない。
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 山中をジェットコースターのように走っていると、道路わきのレストランに3台のバイクを見つけた。アメリカの青年たちで、こちらから「ヤー」といって、仲間入りする。彼らは、ミネソタ州で働いていて、アラスカのフェアバンクスまで行くという。そしてまた同じ道を引き返して、アメリカ西海岸を通り、家に帰るそうだ。3人とも大きなバイクで、荷物は少ない。砂利道を恐れもしないで飛ばしていく。100キロ以上のスピードだから、ついて行くのが大変だ。途中、私のバイクの風防に、また石が当たり大破。
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 フォトネルソンのガススタンドで、これから先の橋は夜の2時まで通行禁止だと聞いて、彼らはその町で滞在するという。彼らと別れて、私は橋の手前の村まで行くことにした。その村は地図にサミットレイクと書かれているが、ただガススタンドが一軒あるだけだった。その店のカフェーでハンバーガーを食べて、横の空き地にテントを張って寝ることにした。この日の走行距離は420キロ。疲れた。
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 陽はなかなか落ちない。もう北極圏に近いのだ。眠れなくて何度も寝返りをうつ。夜10時頃になってやっと暗くなり、朝5時にはもう明るくなっていた。小鳥のさえずりを楽しみ、タバコを一服してからテントを片づける。
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 チェーンの給油、ポイントの点検をして8時にはワトソンレイクへ向かって出発。アラスカハイウエーの森林の景観は、あまりにも単調にえんえんと続き、飽きてしまった。泥とほこりをかぶって走り抜ける。車が跳ね飛ばす石が手足に当たるのに慣れてしまった。この道の往復を終えたら、すぐにでもモトクロスレースに参加できそうだ。しかし、帰りも同じ道を走ることを思うとガックリする。
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 アラスカハイウエーに入ると、ガソリンスタンドの数も少ないので、見つけるたびに補給する。北上するごとにガスの価格は上がり、設備も悪くなり、小屋の前にポンプが並んでいる程度だ。
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 一部だけ舗装のしたカーブで、バスが傾いて停まっていた。後輪の片方を何所かで失くし、車軸がアスファルトに食い込んでいる。ボルトが全部緩んでしまったらしい。乗客は道路わきに座り込んで、私が通過していくのをただ見守っているだけだった。
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 5時ごろ、ユーコン州のワトソンレイクに着き、ガスを入れ、夕食をとった。銀行も郵便局もある村だが、寝る場所が決まらない。村を離れてしまうと、寝る場所を見つけるのが大変なので、村のはずれの道路わきでキャンプする。人に見つからないように、林の陰にテントを張り終え、その日の日誌を書いていると、テントに石が当たり、子供の声が聞こえてきた。怒鳴りながらテントから出てみると、そろそろ分別のつきそうな14,5歳の女の子がリーダー格で、6人ばかりの子供が石を握っている。そんな子供たちを見て悲しい気持ちになった。一人を捕まえて日本語で叱りつける。生意気そうな子供は「英語、話せないの?」と不思議そうな顔でこちらを見る。みんなを家に追い返した。



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