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オートバイの旅日誌(7) カナダ [2-カナダ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(7)-1976/08/24  カナダ


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1976/08/24  大森林
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 24日、カナダに引き返してきた。この前と同じように路面工事をやっている。何度か前輪が横へ流れたが、転ぶこともなく進んだ。夕方5時ごろ、無料のキャンプ場を見つけた。そこでヤマハの650に乗るジョージとその友人で車で旅行しているポールとマゴーに会った。
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 次の日、ジョージは私と一緒にカーフェリーでプリンス・ルパートへ引き返すことにした。フェリー乗り場のあるアラスカ州のヘインズまで約500キロ。道は悪いだろうから、その日のうちに到着できないだろうと思うが、ジョージは今日中にフェリーに乗りたいという。行けるところまで一緒に行こうと走り出したが、砂利道の連続だ。何回も転びそうになったが、なんとか中間地点のヘインズ・ジャンクションに到着。ガソリンを満タンにして休憩。
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 そこからは道が良くなった。砂利道を100キロ前後で南下する。一度後輪がスリップしたが、足で路面を蹴ってバランスを取り戻す。私のバイクは小さいので6速のギアを細かく使い分けるが、ジョージはエンジンが大きいので、ほとんどトップのまま走っている。だから、上り坂になると、シフトダウンが遅れ、非常にスピードが落ちてしまう。
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 そんな砂利道ハイウエイもUSA側に入るとアスファルト舗装に変わった。さらにスピードが上がり、樹林の中を下っていくところでは、オーバースピードになり、カーブが曲がり切れずに反対車線に入ってしまった。そこへ対向車がやって来るのが見えたが、重量がありすぎて元の車線に戻すことができない。相手の方が避けてくれたので衝突を免れた。
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 その後は、慎重にドライブして、簡単な入国検査後、ヘインズの町にたどり着いた。220キロの無補給の走行で、ガス欠になる寸前だった。
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 プリンス・ルパートまでのフェリー料金は大人が31ドルで、バイクは53ドルだった。外で夕食を食べてすぐに乗り込んだ。
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 夜中、船内がそうぞうしくなったので起きたところへ、ジョージがやってきた。アラスカ州都ジュノーに友人がいるので訪ねることにしたのだ。
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 すぐに寝袋をまとめて、バイクのある船底へ行ってみると、まだ朝の4時になったばかりで、乗客はみんな寝不足のようで、髪をぐしゃぐしゃにしてボケーとした顔つきだ。昨夜とりすました美人も、全くひどい姿で、ちょっと愉快だった。
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 5時、フェリーを降り、カフェテリアに入って朝食をとり、夜が明けるのを待った。コーヒーを4杯も飲んで6時ごろ、ジョージの友人の家へ電話したが、知らない家につながてしまった。そこで住所をたよりに、ふたりで家を探すことにした。私はその時までジョージの直接の友人かと思っていたのだが、本当は友達の友達で、直接知らない仲だという。しかもその友人は女性で、前もって連絡もしておらず、今夜一泊させてもらおうという魂胆なのである。
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 彼女の名前は、この前会った女性と同じくマゴーだ。日本語的な発音で果物の名に似ているのですぐ覚えた。マゴーは結婚していたのだが、ちょっと前に離婚したという。非常に感じの良い女性だった。彼女の家はジュノーの高台にあり、一人住みながら、すごく小ぎれいだった。私たちの訪問を予定していたわけでもない。何しろ彼女はガウンを着たままの格好で出てきたぐらいなのに、部屋はきれいに片づいていた。
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 マゴーが仕事へ出かけてから、私は20日ぶりにシャワーを浴びた。すっきりしたところで、荷物のすべてを家に置いて、ジョージと一緒にドライブへ出かけた。あの重い荷物がなくなり,バイクは快調だった。ジョージとまる一日付き合ったので、大概のことは理解できるようになっていたが、私の下手な英語のおかげで、二人とも疲れてしまったようだ。
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 マゴーの家は非常に素敵なのだが、私自身の知り合いでもないので、気が疲れてしまう。彼女がいないときは、少しくつろぐことができるのだが、彼女が帰ってくると、自分の居場所がないという感じだった。そのころにはもう、私にはテントが自分の家となり、テントの中に入るとホッとするし、よく眠れるようになっていた。
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 カナダ、アラスカの自然に関して思うことは、自然が良く保存されているというよりは、まだ手が出せないのだろうという感じだ。町の緑化設備などは、公園を除けばほとんどないのに等しいし、むしろ日本の方が優れていると思われる。それほど、あたりは緑ばかりだ。ここで自然保護というのは、その緑の集まる動物が対象のようだ。
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 植物と人間の戦いは大変だろうと思われた。ハイウエイが大森林の中を走っているため、まわりのブッシュが迫ってきて、元の自然に戻そうとする。そこで人々は、トラックに大きなエンジンの鋸を取り付け、道路沿いに走らせる。迫ってくるブッシュを刈り取っていく。ちょっと放置すれば、ブッシュがハイウエイを覆い尽くすほど自然の勢いは強い。
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 もう一つ人間と自然の闘いを見た。森林の中を走っているとき、えんえんと続く森の中に、突然芝生の一角が現れた。その奥にかわいい家があった。自然の中に人工的な芝生があって、非常に人目を引くものであったが、その家の人の「芝生を持ちたい」という執念を感じた。そして芝生の管理の苦労が想像された。たぶん雑草とのすさまじい闘いだろう。同じ植物でも自然の植生に対して芝生は人間が家畜化した植物なのだから・・
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地図


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1976/08/27  フェリー
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 夜中に目がさめて時計をみたら3時ジャストだ。ジョージを起こしてフェリー乗り場まで行かなくてはならない。バルコニーで寝ていたので部屋のドアを開けると、それに気が付いたのか、ジョージがヤーと声をかけてきた。私が出発だよ、と言って準備をし、4時には家を出ることができた。ジョージは目が覚めていないのか動作がのろい。
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 フェリー乗り場に、ちょうどいい時間に到着して、すぐに乗り込むことができた。私たちは、また寝ることにしたが、ジョージはマゴーのことが好きになってしまったらしく、なかなか船内に入ろうとしない。私に町の明かりがきれいだな、とかボクはマゴーと二度と会えないかもしれないとぽつりと言って、いつまでも町の方を見ていた。ジョージの心は燃えている。船内は暑いといて彼は甲板で寝てしまった。船内でも寒いくらいだったから、甲板は非常に寒かったんじゃないかな。
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 これからカナダ西海岸からケベックの東海岸までドライブしてアメリカに入るのだが、盗難に注意しなくてはならない。特に東海岸の大都市の中を南下するときが怖い。マゴーの家に行く時も、私たちは深夜営業の店に入って朝を待った。店の前にも中にも変な男や十代の男女が群がっている。普通ジョージは、店に入るときはバイクの上にヘルメットや上着を残したままにしているのだが、その時ばかりは、店から見える電話ボックスに行くだけでも、私にバイクを見張ってくれと頼んだ。初めて大都市の中で夜を過ごしたのだが、その怖さをひしひしと感じた。人の多いところは、モーターサイクリストには危険すぎる。
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 先ほど停泊した町はベータースブルグと思われた。フェリーはのろのろと蛇のように島の間を進んでいく。このコースは非常に美しいと聞ていたが、小雨が降り、見通しがきかなくて残念だ。
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 英語の勉強をしているところへ、ひげを生やした優しそうな年輩の男が話しかけてきた。そして「Z」の発音は「ジー」だと注意されてしまった。カナダに住んでいる人だったので、国のことをいろいろ教えてもらい、これから行くプリンス・ルパートの町のことも聞いてみた。
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 その人は世界の道路状況や世界各地の地名に詳しく、夏のホリデーには毎年世界中をドライブしようとしているのが分かった。特に陸続きの南アメリカには行きたいらしく、非常によく知っていた。
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 私の乗っているフェリーは、少しも揺れずに雲が低く立ち込めた海を静かに進んでいった。ただ、すこしエンジンの振動が気になる。

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