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オートバイの旅日誌(9) カナダ [2-カナダ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(9)-1976/08/30 カナダ


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1976/08/30  エスキモー
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 朝7時に起きたが、昨日の天気とはうって変わってひどい雨だ。すでにテントの中にも雨水が入り込んでいる。テントから出るのもおっくうだ。
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 ヘルメットのシールドを手で拭きながら雨の中を走る。100キロ以上もガススタンドのないところなので、なかなか休むことができない。18リットル入りの予備タンクを持っていたが、ガソリンは一滴も入っていなかった。ガス欠の心配も出てきた。雨の中を震えながら、やっとヘツッルトンの町の着いた。そこでパンを買うつもりだが、12時から1時まで休みで待たなくてはならない。フェリーで知り合った人が、カサンのインディアン村は素晴らしいと言っていたことを思い出して行ってみることにする。
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 そこは町はずれで、芝生の広場をはさむようにして、7軒の大きな木造の家があった。私が想像していたものとは違っていた。実際に生活している村かと思っていたのだが、ただの観光用だった。各家にはいろいろな生活道具が展示されていた。この村はトーテムポールで名高く、その彫刻は大胆で、大きな刃物一本で彫った感じの力あふれたものだった。
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 この村には村人は住んでおらず、ただひとり、その子孫である男がガイドをしていた。お土産を売っている小屋に入ると、「ヨーゾー」と呼ばれてびっくりした。カナダのキャンプ場で会ったジョージの友人、ポールとマゴーだった。彼らはアラスカハイウエーを通って家に帰る途中だったから、どこかで再開する可能性は十分にあったのだが、彼らも驚いたらしく、話はつきなかった。もちろん、私の英語力に合わせた会話だから、話したいことが山ほどあるのに、なかなか先へ進めず、いらいらする。
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 ポールが入場券を買てくれたので、インディアンの民族ダンスを見ることができた。ポールはここで知り合ったスイス人家族を紹介してくれた。主人は非常に陽気な人で、私の旅行計画を聞くと非常に興味を持てくれて、スイスに来たら家を訪ねるようにと、アドレスを教えてくれた。
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 彼らは一人息子の青年と3人で旅行していた。スイスからバンクーバに着いて、まずキャンピングカーを借りてアラスカへ行き、私と同じようにフェリーでカナダに戻ったところだった。
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 彼らのキャンピングカーの中でコーヒーをごちそうになり、私はポールたちと一緒に出発することにした。スイス人家族は、ここのキャンプ場に泊まるらしい。私たちはお互いの旅の前途を祝福して全員と握手した。ポールの彼女マゴーと握手しようとしたとき、彼女が「ヨーゾー、ナイス。」といって私の胸に飛び込んできた。私はキスされるものと思って、あわてて唇を固く結んだおかげで唇を噛んでしまった。
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 町で食料を購入して一時間ほど走った。町はずれのレストエリアでキャンプする。よく、「キャンプ禁止」なんていう看板があるが、そこにはなかった。高地のため雲が低く、まわりの雲からは雨が幕のように垂れ下がっている。しばらくしたら頭上に来るだろうと思い、急いでテントを張る。ときおり雲が切れて雪の残っている高い山が見える。晴れていたら素晴らしいだろうな。
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 近くのキャンプ場へ水をもらいに行き、そこの管理人の女性に「明日の天気はどうでしょうね」と聞いてみた。「雨でしょうね」と返ってきた。雨といっとおけば、はずれないような返事だった。
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 その夫人は、少しエスキモーの血が混じっているのか、私の顔に似ており、彼女は「あなたは日本人のエスキモーか」とたずねてきた。私は日本にはエスキモーはいないと答えたが、後で「そうです」といえばよかったと思った。その返事を聞いて、彼女ががっかりしていたからだ。
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 テントの戻ってからは忙しかった。ほとんど毎日、雨が降っているので、雨の上がっているときにバイクの整備をしないとやるときがない。暗くなるまでの2時間の間に前後の車輪を外し、ディスクパッドを取り換えた。チェーンの掃除、点火時期の点検もやる。
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 整備を終えたら夕食だ。町で買った缶詰がある。いちばん安い39セントのやつを開けてみると、ラベルとは全く違う・・キャベツの漬物だった。ガッカリ。不運は続くもので、そのエリアは長距離トラックの溜り場になっていた。連中はエンジンを掛けたまま休むので、朝まで排気音とガスに悩まされることになった。
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1976/08/31  歳は60ぐらい
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 7時に起きたが寝不足のために身体がだるく、テントから出る気もしない。
 見慣れた森林景観を眺めながらプリンス・ジョージへ向かう。早くサンフランシスコへ行かなければ、ロッキー山脈で雪に会ってしまいそうだ。
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 道は高原を登ると雲の中に入り、急に寒くなった。丘を登ったり下ったりしているうちに、天気はだんだん良くなっていった。
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 昼過ぎ、ガスを補給したついでに、ミッションオイルの交換をする。日本を出てからすでに9000キロを走っていた。スタンドの子供が、最近小さなバイクを買ってもらったらしく、私のバイクに非常に興味を持ち、いろいろとメカのことを聞いてくる。すぐ親しくなって、私の仕事を手伝ってくれた。彼は私の英語が理解できるらしく、私が彼の父親と話す時は、通訳してくれた。
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 子どもの写真を撮った後、この日の寝場所を探しながら走り、リッターバレルというレストエリアを見つけてキャンプする。テントを張り終えたころ、キャンピングカーがやってきて、その家族の主人と親しくなりる。その人は植物に詳しくて、まわりのブッシュの中から食べられる木の実を教えてくれた。それは、名前は忘れてしまったが、青赤色の小さな実で、そのまま口に含んでも渋くはない。ジャムにすると美味いそうだ。
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 その家族が立ち去ると、今度は森の中から汚い姿をした男がのっそりと現れた。歳は60ぐらい。この歳で、しかも森の中では乞食をするにも大変だろうなと思いながら、何か持っていかれないように警戒した。その老人はバイクのメカに意外と詳しく。そして「俺はホンダのバイクを持っている」という。彼は少し待てくれといて、森の中から360ccのバイクの乗って現れた。泥一つつかず、オイルの汚れもない真新しいバイクだ。よくドライブ旅行しているらしく、すでに1万4千キロを走っていた。バイクが本当に好きな老人なんだろう。ここはテントを張るのには良くないよと言って、そこを出て行った。(この老人は、今の私のようです。)
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 今度は自転車に乗った若者だ。髪が非常に長く、女子かと思っていたら、ホンコンから来た青年で、バンクーバで自転車を購入して,1400キロ先のプリンス・ルパートまで行くところだという。留学のために来たそうだ。
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 自転車はツーリングタイプではなく、ロードレースタイプだ。あの細いタイヤに荷物をいっぱい積んでいるので、自転車がかわいそうなくらいだ。持ち上げてみたら、ずっしりと重かった。
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 彼は非常に喉が渇いていたらしく、水筒の水もなくなり、湖の水を飲みに行ったが、吐き出しながら戻ってきた。この日は私もあまり水を持っていなかったが、夕飯を食べた後だったので、分けてやった。
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 彼の荷物は不要なものが多く、ナタ、空気銃、空のコーラの大瓶2本(水筒代わり)、そして肝心のテントや寝袋はなくて、夜はベンチの下で寝ていたようだ。

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