SSブログ

オートバイの旅日誌(16) USA [3-USA]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(16)-1976/09/26 USA


image145.jpg

- 
1976/09/26    ニューポート
- 
 昨夜は遅かったが、朝6時には目が覚めてしまった。いつも夜明けとともに起きる習慣になっていたので、部屋が明るくなると目が覚めてしまう。日曜日だから誰も起きていないようだ。10時頃までベッドに転がって、今日までの旅のこと、これからの旅のことを考えた。
-
 朝食は、ベーコンをカリカリになるまで焼いたものと目玉焼きだ。姉のデニスがまたやってきた。私をどこかに連れて行くらしい。彼女の友人ジャッキーも一緒に行くことになった。楽しい人で、大声で話をする女性だ。あちこち兄弟や友人たちの家に次々と連れていかれた、私は何回も同じことを話し、疲れれてしまった。あのジャズ・フェスティバルで有名なニューポートへも連れて行ってもらった。
- 
1976/09/27    ビルのパーキング場
-
 昼からドライブ。車の中で、私は黙っていることが許されない。私が日本からやってきた旅行者だからこそ、皆がこんなに歓迎してくれるんだ。だからこそ、私もそれにこたえて楽しい時間を過ごすようにしなくちゃいけない。(しかし、疲れるよ。)
-
 次の日、朝早く出発の準備をしようとこっそり起きたのだが、お母さんが気が付いたらしく、起きてきてしまった。朝食を終えるとデニスもやってきた。デニスは28歳で、日本の女の子のような顔形をしている。彼女は二人の子供がいるというのに、この3日間ずっと私の相手をしてくれた。家の方はどうなっているのだろう。彼女の旦那が子供の世話をしているらしい。写真を何枚も撮ってもらい。皆からキスを山ほどもらった。
-
 ジョージのお母さんもキスをしてくれた。お母さんは自分の母親のように、セーターの穴を見つけては直してくれた。洗濯するものはないかとか、食料を持って行けとか、Tシャツを持っていきなさいとか、親切は涙が出るほど嬉しかった。
-
 USハイウェイ1号線を南下する。町がづっと続く。そして夕方まで走ったが、寝る場所が決まらない。バーに入って、グラス1杯30セントのビールを飲みながら「どこかにキャンプできそうなところはないかな」と誰となく来てみた。
-
 酔っぱらった男が、前にビルのパーキング場で寝たらよいと、とんでもないことを教えてくれた。私もその気になった。事務所が一軒だけ開いていたので、そこにいた女性に「今夜、この裏の駐車場でキャンプしても良いか」と聞いたところ、私の所有地ではないから、返事ができないという。
-
 その女性は、このあたりにキャンプ場もないことを知っていて、どうしたらよいか考えてくれた。そこで私が「それじゃ、今夜は裏で寝ることにしますので、誰にも言わないでください」と頼むと、彼女はにっこりとうなずいてくれた。


- 
1976/09/29   ヨードチンキ1滴
-
 スパークプラグを新しく取り換えて、寝場所を求めて南下する。家がますます混んでくる。このままニューヨーク、ワシントンDCへ向かっていいものだろうか。
-
 しばらく進んだところでカフェーに入った。そして、ここで非常に気分を悪くした。私の姿が汚すぎたのか、有色人種に対する軽蔑なのだろうか。店のカウンターに座ってコーヒーを注文すると、その店の主人らしき男が、早口で何かしゃべっている。
-
「何ですか。」
「ミルクはいるのか。」
「はい、ミルクと砂糖を入れてください。」
-
 男はさあ飲め、といわんばかりにテーブルの上にカップを投げるようにして置く。ガチャンという音とともにスプーンが皿から飛び出す。
-
「他に何かいるか。」と面倒くさそうにきく。
「ノー。」
-
コーヒーを飲み終え、手紙でも書こうとしたら、またしても怒鳴る。
「他に何か注文するか。なければ、出て行ってくれ。手紙は家に帰って書け。」
-
 私は何も言わずに出ていくことにした。店に主人は他に客が2人いたので、言い過ぎたと思ったのか、言い訳がましく言う。
「なあ、俺は忙しんだ。ずっと、ここに居てもらっては困るんだ。」
-
 コーヒー一杯飲んだだけだが、その間、常連らしい若い娘が来た。コーヒー皿を渡すときに娘の手を握り、鼻の下を長くして、醜い顔をほころばせる、いたらしい男だ。
-
 金を払って店を出るとき、別の店員が「ごめんね」と言っているように思われ、すこし気を取り直した。
-
 町並みがとても混んできた。これ以上進んではキャンプできなくなると考え、ニューヨークからルート80号線を西へむかった。目標はクリーブランドだ。郊外で大きな空地を見つけ、キャンプする。今夜も寝るとことが見つかって嬉しかった。
-
 ある店でもらった水がすごく濁っている。白い変な不純物も浮いている。カビの生えた餅を食べたときのいうな味がした。1リットルぐらい飲んでから仁丹3粒を、ヨードチンキ1滴を落としてみたら臭い味がなくなった。


image146.jpg

- 
1976/09/30    サインしろ
-
 少し寄り道して州立公園へ行ってみる。キャンプ料金が必要かどうか確かめるためだ。その山の上にガススタンドがあり、補給したところ、サインしろという。(変な旅行者がやってきたので記念にするつもりだな。)喜んでサインしてやった。4リトル。60セントのガソリン代はいらないという。たった60セントだが嬉しくて握手して別れた。
-
 山の中は紅葉が美しく。冬はもうそこまで来ていた。急がなければ・・
-
 4時ごろ国立公園のキャンプ場へ行ってみたが有料だった。さらに進み、工場の中で許可を得て、キャンプすることができた。
- 
1976/10/01    アメリカの銀行
-
 トゥワンダの町でミッションオイルの交換をする.
-
 100ドル札は使いにくいので、銀行へ行き、両替してもらった。20ドル札が一番使いやすい。100ドル札を15枚差し出すと、女子銀行員は一枚一枚数えて、「はい、1400ドルですね。」とあっさり言う。こちらもつられて「うん」と言いそうになるぐらいだ。本人はちゃんと数えたつもりなのだろうか。それとも、計算に弱いエスキモーかインディアと思って、一枚猫糞するつもりだったのだろうか。銀行員が一回しか数えないで、それもわずか15枚の札が数えられなくていいものかな。一枚といっても100ドルだ。3万円だ。すでに3回ぐらい同じ経験をしている。アメリカの銀行は信用できないぞ。

-