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オートバイの旅日誌(29)Colombia [4-中・南アメリカ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(29)Colombia-1977/02/28


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1977/02/28  メカニック 
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 コロンビアの首都ボゴタに到着。そこでメカニックの青年に出会い、彼の小さな店へ連れていかれた。その店には3人の若者がいて、2人はその仕事場の奥で寝ていた。その日から私も仲間入りをして、仕事場の2階の机の上で寝ることになった。みんな気のいい連中で、私のバイクの整備をしてくれて、さらに毎日飲み屋へ連れて行ってくれた。
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 3人の中でダニエルだけが少し英語ができた。バイクの本が英語であるため、少しずつ覚えたという。でも発音がスペイン語風になるので、私にはなかなか理解できなかった。 しかし、話の出来る唯一の青年だ。彼は34歳の独身で、メディリンの住民だが、この店に遊びに来ていた。
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 彼はメカニックとしては一人前の腕を持っているので、働こうと思えば、すぐに職は見つかるという。しかし、毎朝同じ時間に起きて職場に行くのは御免だ。金がなくなれば、メディリンへ戻ってメカニックとして働き、金が溜まれば、こうしてぶらぶらするという。
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 南米のこんな考えを持つ若者がいるとは思わなかったので驚いた。私がヒッピーのようだと言ったら、彼は「ヒッピーと俺とは違う。ヒッピーは最低だ」と彼なりの人生観があるようだった。


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1977/03/07   人間の背丈
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 エクアドルに入国。コロンビアからは険しい山道が続き、バイクは元気がない。首都キトーでも。メカニックの家に滞在した。
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 このとき会話に中で、習慣の違いを見つけた。人間の背丈を示すときは、手の平を垂直にして示す。そして動物は手のひらを下にして上下させる。


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1977/03/13   枕カバー
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 コロンビア、エクアドルでは山道の登り下りが激しいので、スパークプラグがすぐに濡れてしまう。メインジェットは、アメリカではたびたび変更して、大きなものをつけていたが、この時はニードルの段数を下げた。
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 そんのまま、アンデス山脈を下って、ペルーのアタカマ砂漠へ入っていく。少しプラグが焼けすぎだと思ったが、遅かった。坂を下っているときに急にエンジンパワーが落ちた。エンジンを止めキックするが、圧縮圧が全くなかった。ピストンに穴が開いてしまったようだ。穴の開いた方のプラグを抜き取り、アイドリングを高める。1つのシリンダーだけで民家のあるところまで行き、砂ばかりの空き地でピストンを交換した。ピストンに大きな穴が開いていた。
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 ペルーに入ってから、首都リマまでの砂漠の走行は、非常に暑かった。町に着くたびにペルーのソーダ水インカコーラを飲んで進む。アタカマ砂漠は美しい。砂山と海との間を、パンアメリカン・ハイウェイがどこまでも続く。
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 首都リマでは、29日間ほど義理の叔父の家に滞在して、半年ぶりに休養を取った。
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 毎晩すごいご馳走だが、胃袋が小さくなってしまったらしく、ほとんど食べられない。肉を見ても食欲がわかない。食べなれたパンの方が食欲を感じた。(私の食事はほとんどパンだけだったのです。)
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 叔父が商用でチリへ行くことになったので、1週間後にチリの首都で再会する約束をして、私は出発してアタカマ砂漠を南下した。ぺルの沿岸沿いの道は長い。
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 毎日500キロ以上の走行をした。町を出ると次の町まで200キロ以上は何もない砂漠の道だ。非常に疲れて、サンチャゴに着いたときは、頬骨が飛び出してしまうほどだった。
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 叔父はシェラトンホテルに滞在していた。チリで一番高級なホテルだ。私の姿は安ホテルでも嫌がる格好だ。叔父は私をそこのホテルに連れていき、きれいなユニホームを着たボーイに、私の汚いザック、カバンを部屋へ運ばせた。臭気がプンプンするので、荷物の置き場を探さなくてはならなかった。
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 その日は、十分に身体を洗って寝たが、翌朝部屋の掃除に来たルーム係りは、叔父によく身体を洗わせてくださいと耳打ちしたそうだ。(枕カバーが汚れていたらしい。)

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オートバイの旅日誌(30)Argentine [4-中・南アメリカ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(30)Argentine-1977/04/25


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1977/04/25   ホンダ1000GL
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 チリの道路の南端まで行き、プエルトモントからアンデス山脈を越えて、アルゼンチンへ入国する。
 バリーローテェまで砂利道が続いた。だんだんと森林がなくなり、パンパ草原地帯に変わる。風が強くなった。樹木は全くなくなり、草ばかりだ。バリーローテェからさらに南下して、フェゴ島へ向かう。
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 コモドロ・リバダビアでは、停まってバイクを支えているだけでも大変な強風だった。これではキャンプどころではないので、ホテルを探す。バイクを道路端に停めて離れると、強風ですぐにひっくり返ってしまった。
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 アルゼンチンのポリスのチェックは非常に厳しい。荷物を全てぶちまけて調べるのだ。何もないとわかると、たくさん携帯しているバイクの部品に関して難癖をつけてくる。また、ある町で、コロンビアやエクアドルの時のようにキャンプしたいと訪問したら、ひどい目にあってしまった。10本の指の指紋を取られ、取り調べを受けてしまった。警察官の気分で最悪の場合は、拘留される可能性もある。
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 大陸の最南端プンタアレナスへ到着した翌朝、初雪が降った。無理をしてフェゴ島へ渡るのをあきらめた。2日滞在してブエノスアイレスへ引き返す。町の中のアスファルト舗装は、雪が解けているようだった。ところが、並木の日陰の所で、雪の上を走り、大きく転倒した。80キロのスピードで、背負っていたザックに乗るようにして転んだので、30メートルも滑走した。空と並木の枝が流れていく。バイクは私より先を滑走していった。フラシュランプがもぎ取れただけで助かった。
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 町を出ると、アイスバーンのような雪道が続き、両足を出して、ノロノロ運転だ。やっと夜になって一軒のホテルに到着した。ホテルの人たちは非常に親切で、私が到着すると、すぐにコーヒーや夕食を出してくれた。翌朝出発するときには、ホテル代はいらないという。
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 プンタアレナスへ向かっている途中で、大きなバイクのそばに突っ立っている若い男女を見つけた。ドイツの青年だった。彼らのバイクはホンダ1000GLというシャフトドライブのものだ。どうやらジョイントピンが折れてしまったらしい。エンジンはかかるが、後輪が回転しない。エンジン関係のスペアーパーツは全く持っていないという。これだけは私も助けてあげることができない。町まで運んでくれるトラックを待っているというので、彼らに水を置いていくことにした。


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1977/05/12   パラグアイ
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 アルゼンチンのブエノスアイレスに到着。大都市だ。美しい人も多くて、町を行くのも楽しい。
 ここから西アフリカへ行くつもりだったが、砂利道走行で予想以上にタイヤが消耗してしまった。新しいものが欲しいが手に入らないので、パラグアイ、ウルグアイを経由してブラジルまで行くことにした。冬の寒さはブエノスアイレスにも近づいていて、雨の日が多くなった。
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 パラグアイへ行く途中、カウボーイたちが牛を移動させているのに出会た。ちょうど昼飯時で先発隊が食事の準備をしていた。焚火に大きなあばら骨の肉を並べて焼いている。私も仲間に入れてもらって、大きなナイフで骨と肉をはがし、岩塩をつけて食べた。本当にうまい肉だった。肉を食べて、うまいと思ったのはこの時だけだ。
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 パラグアイは熱帯地方らしく、植物が生い茂り、ジャングルを形成していた。また、多くのソ連人移民がいたのには驚いた。
 イグアスの滝を見て、雨の中を引き返しているとき、今度は赤土で濡れた舗装道路で激しく転んでしまった。別にどこも怪我はしなかったが、道路の上を長く滑ったので、雨合羽がボロボロになってしまった。


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1977/06/24   ブラジル
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 ウルグアイからブラジルへ入る。国境は町の真中にある。柵も何もない。よく見たら、道路の真中に「こちらウルグアイ。あちらブラジル。」という看板があった。
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 出入国手続きをするにも、土地の人にその場所を訪ねなくてはならないような開放的な国境だった。ブラジルの入国手続きを終えたら、3時過ぎで疲れていたので、また、ウルグアイの運動場に戻ってキャンプした。
 せっかく覚えたスペイン語でもブラジルでは通用しなかった。キャンプの場所を探すときも、コーヒーを注文するときも困ってしまう。女の子から声を掛けられても残念なことに全く答えられない。
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 サンパウロのヤマハで、アフリカの旅に備えて、バイクの整備をした。そのあと、首都ブラジリアへ行ってみた。将来の未来都市として建設されたこの町は、全く非人間的だった。人が群がり集まる場所がない。
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 ここで日本人2世の青年に会い、家へ行ってみた。両親と女の子が2人、男の3人の家族だった。両親以外は日本語ができない。女の子の振る舞いは、もう日本人ではなかった。非常に明るく、大きな口を開けて、大声で笑う。見ているだけで楽しくなる。
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 リオデジャネイロは世界の観光地で美しい町だ。安ホテルなどはない。いや、部屋を見つけるだけで大変だった。
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 アフリカへどのようにして渡るか。ブラジルからセネガルへ行く船はなかった。いろいろ考えて、バイクも飛行機で送ることにした。私の旅費のほとんどは、この大陸を移動する費用で消えてしまった。

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