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オートバイの旅日誌(11) カナダ [2-カナダ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(11)-1976/09/04 カナダ


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1976/09/04    パンフの町
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 夜明けが遅く、いらいらしながら明るくなるのを待つ、8時出発。ものすごく寒い。足はいつの間にかガソリンタンクをギュッと締め付けていた。雄大な景色を写真に撮りたいと思うが、ブレーキを掛ける気力はない。ただ震えながらハンドルを握っているのが精一杯だ。坂道でいつもよりエンジンに力がないことに気が付いた。焦げ臭い。あわててオイルポンプを元の状態に戻す。
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 坂道を登っていると、また、雨が降り始めた。冷たい雨だ。パンフへの道は昔は細くくねくねした道だったらしい。現在のハイウエイの脇に出没していた。今は立派な往復2車線のロードになっているが、勾配はきつい。また、標高も高いためだろう。エンジンの小さな車は、ノロノロと走っている。私のバイクも3速のギアにして5000回転を保って登る。
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 パンフの町もジャスパーと同じく国際観光都市で、きれいなしゃれた町だ。若者たちが、ごろごろとたむろしている。私の性には合わないので、すぐ出発だ。


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1976/09/05   小麦畑と牧草地
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 標高も下がってきたのだろう。テントも霜で凍りつかなくなり、温かく感じられる。
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 ハイウエイは第2の都市のビッグ都市カルガリーに近いため、往復4車線になった。カナディアンロッキーから遠ざかりつつあるので、大平原の中をハイウエイは真っすぐ伸び、朝日を遮るものもない、まぶしい。こちらの車が一日中ライトをつけて走るの理由もわかる。また、広いハイウエイでもなくても、最高速度が55マイル(約90キロ)で、非常に悪い道でも思い切り飛ばすから、ライトをつけていないと対向車の接近に気が付くのが遅れて危険だ。
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 カルガリーでタイヤを購入するつもりだが、日曜日のため休み。明日も何かの祭日で休みということで、700マイルも離れたレジナへ向かう。カナダ・トランスハイウエイ1号線に乗る。日曜日のためパンフ方面へ行く車が多い。キャンピングカーやトレーラにモトクロス用のバイクを乗せた車が目立った。
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 コロンビア州からアルバータ州に入ると1時間の時差があった。
 ハイウエイにはレストエリアとは別に便所エリアがあった。ハイウエイ上での公衆トイレだ。もちろん水栓ではないが、すべてトイレットペーパーが完備されているのには驚く。トイレに関して、もう一つ気が付くことはロール紙のぶら下げ方が違う。こんなことにも習慣の違いがあるのだろうか。
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 車の運転についていえば、こちらに人は上手だとは思えない。パンフの町へ向かうとき、ハイウエイからそれて旧道を行ったのだが、その道は日本の山岳道路のようにくねくね曲がり、幅も狭い、私は日本の道路を懐かしむ気持ちでハンドルを握り、カーブを楽しんだ。しかし、こちらに車は直線では120キロ以上のスピードで飛ばしているくせに、その曲がりくねった道では、必要以上にトロトロ走っている。だから山道での事故は少ないそうだ。こちらの事故はほとんどが直線路での居眠り運転による衝突かハイウエイから飛び出して畑に突っ込む事故のようだ。
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 カルガリーに近づくと、景観ががらりと変わってきた。まず針葉樹林から広葉樹林に変わり、空は素晴らしい青空になった。いい気持ちでカルガリーの町に入ったが、店はどこもやっていない。やっているのはガススタンドぐらいだ。タイヤを買いたかったので、バイクの店を探した。自分の走っている道はいつの間にか一方通行になり、引き返すこともできず、住宅地に迷い込んでしまった。
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 カナダ横断道路1号線は、町に入ると名称を変えてしまうので混乱する。やっとスタンドを見つけ、16番大通りが町を出る道路であることを知った。もうタイヤ購入は断念して先へ進むことにした。
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 どこかの町で食料が買えるだろうと先を急ぐと、進むにつれて景色が変わってきた。道の両側は樹木一本もなくなり、小麦畑と牧草地になってしまった。雲の形も高いところに薄く尾を引いた筋雲になった。樹木が一本もないところだから、畑に吹く風は強烈だ。風に対してバイクを傾けて走るが、カーブではコントロールが難しい。急に風が一息ついたとき、バイクが必要以上に傾いているので、道路から飛び出しそうになる。
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 小麦畑の中のレストエリアでキャンプする。小さな木を4,5本植えてあるが、なんの役にも立たない。風の吹き曝しだ。風がすごいので、テントを張っても吹き飛ばされそうだ。夕食がないので、先ほど見つけたカフェーへ行ってみた。田舎の閉鎖的なカフェだ。私が入っていくと、他の客はいつまでもじろじろと私を見る。私の姿が汚いためだろうが、連中だってみんな薄汚い。店の中は非常に温かかった。朝出発するときは雨合羽を着るほど寒かったのに、コーヒーを飲んでいると、顔から汗がぽつぽつと落ちた。
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 キャンプ地に戻ると、デトロイトに住んでいるという子連れに夫婦に会った。彼らはバンクーバーへ行くのだが、金がないから1日1000キロのドライブをしているといっていた。
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 その後、キャンピングカーで旅行しているエンジニアの技師だという夫婦連れとも知り合った。彼は日本の車は非常に良いし、値段も安いが、スペアーパーツが高すぎるとこぼしていた。


地図


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1976/09/06   JAFのバッジ
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 出発前にキャブのエアスクリューを1回転1/2から1回転1/4に戻した。エンジンの回転の戻りが良くなった。カナダ・トランスハイウエーに入ってからは、昼間の最高スピード制限が65マイル(約105キロ)なので、今まで通りに80キロで走っていたのでは、絶えず追い越しをくらって危険だ。60マイル(95キロ)で走ることにした。
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 ブルックスの町も祭日で、すべての店が閉まっていたが、ガススタンドでタイヤを見つけることができた。18-3.50インチのタイヤだ。バイクの担当者が来ていなかったので、1時間ほど待たされたが、店の夫人と息子のゴードン少年と親しくなった。43ドルのタイヤの値段は取付料金も含んでいたので、自分でやることにして30ドルで買うことができた。ゴードン坊やが手伝ってくれた。
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 作業が終わって、店の人たちとコーヒーを飲みに行った。ゴードンは父親のケンが2年間、スノーモービルの優勝者だと鼻息が荒い。また、日本人のモトクロスレーサーはすごいとほめてくれた。カナダのレーサーが一周する間に、そのアキタという日本人は3周したとベタほめだった。コーヒーを5杯飲んで引き返した。
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 タイヤの金を払うとき、カナダの紙幣が小さいので、日本の大きな1万円札を見せてやった。その大きさよりも10000という数字に驚いたようだ。ゴードン坊やに十円硬貨をあげると、彼は50セント硬貨を、そして父親のケンは1ドル硬貨をプレゼントしてくれた。
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 この日も食料が買えなかったので、レストランで食事をする。コーヒーをに飲みながら日誌を書いていると、窓側に座っていた婦人が「あれは、あなたのバイクでしょう?」という。カーテン越しに見ると、二人の若者が私のバイクをいじくっている。私が飛び出しいていくと、びっくりしたようで、少し言葉を失ってニコニコしながら笑い、ごまかして逃げてしまった。どうやら風防の布につけてあったJAFのバッジを取ろうとしていたらしい。ガススタンドの前のカフェで、しかも、絶えず客が出入りしているのに、こんな奴がいるのだ。南米に行くと、盗難がひどいと聞いているが、北米でこれだ。先が思いやられる。
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 このアルバータ州の平原は、昔から何もない平原だったのだろうか。それとも長い年月をかけて大森林を切り開き、今日のような樹木一本もない小麦畑にしてしまったのだろうか。いま、ここに住む人たちは、週末になるとパンフやジヤスパーへ緑と水を求めて出かける。
 私なんかこの土地に住むと世界観が変わるか、気がくるってしまいそうだ。それほどこの平原は、単調で広大だ。

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オートバイの旅日誌(12)カナダ [2-カナダ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(12)-1976/09/07 カナダ


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1976/09/07   100頭以上の牛
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 ガススタンドに入って「寒いですね」というと「山では雪が降っているよ」と返ってきた。(早く南下してサンフランシスコへ着かなくては。北アメリカに冬が近づいている。)
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 この日から一日の走行距離が伸びそうだ。小麦畑ばかりで、何も興味を引くものがないから、バイクを停める必要もない。
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 小麦畑の上を突風並みの風が吹いている。進む方向によっては追い風になり、スピードがどんどん上がる。しかし、向かい風になると、いくらスロットルグリップを回しても70キロ以上は出ない。追い風の時にトラックとすれ違うと、ものすごい風圧を受ける。風防の中に頭を突っ込んで避けるが、時たま忘れると風圧で顔が上を向いてしまう。
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 天気が悪くなってきた。この大平原では、先の先まで地形や空の様子が見渡せるから、どこで雨が降っているかもわかる。自分の進路に雲から雨のカーテンが降りているときは、腹に力を入れて突っ込んでいく。雲の下に入ると急激に気温が下がる。雨と思っていたものは霰だった。ヘルメットに音をたてて当たる。
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 牧場の中を100頭以上の牛が一列に連なって、水飲み場へ向かっている。写真と撮ろうと思ってバイクを停めた。それに気が付いたのか、牛たちも止まってしまった。全部がこちらを見ている。100頭も牛の注目を受けるということが、どんなに怖いことか・・・。
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1976/09/08   タバコ
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 牛の鳴き声で目がさめた。プラグのカーボンを掃除して走り出した。ロッキー山脈から引き下ろす追い風に乗って、快調に飛ばす。100キロも進むとレジナの町の到着。残りの日本円3万4千円をカナダドルに両替する。1ドルが320円とアラスカよりひどいレートだ。銀行員が喜んでいるように思える。
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 カフェーでスペアパーツの注文票を書いて、いつもと同じように長居してしまう。コーヒーは1杯しかサービスがなかったが、他の客がいなくなってからは2回もカップからこぼれるくらい注いでくれた。本当に嬉しくて、チップをあげたいと思った。がらにもないことだが、真実そう思った。
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 さて、いくらあげようかとか。財布に32セントあたので、それを全部あげた。サンキューといって受け取ったが、喜んでもらえたかな。そのとき、ついでに水筒に水を入れてもらった。それが真っ黄色いで、私はすごい水をくれたものだなとびっくりしたが、後でそれがレモネードの味がする水だったので、感激した。
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 旅に出て初めて、しみじみと夜空を眺めた。テントの中から顔だけ出して見たが、期待したいたほどたくさんの星は見えなかった。なぜだろう。別にスモッグも夜空を照らす町の照明もないのに・・・南米へ行けば、もっとすばらしい星空が見えるかもしれない。(この日の誓い。・・・テントの中で寝たばこをやめること。)寝ながらタバコ吸っていて、セーターに直径1センチの穴をあけてしまった。テントが火事になったら大変だ。
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1976/09/09    テンガロンハット
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 レジナを過ぎてから、さらに景色が変わった。麦畑だけになり、その倉庫がどの町にもシンボルマークのように色鮮やかに高くそびえているのだ。形もそれぞれ特色があって面白い。
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 ある小さな町へ食料を買うために入っていった。やはり小麦の倉庫が高くそびえている。馬をつなぐ横木でもあれば似合う古い町並みだ。映画「グラフィックアーツ」の中の幕末の町を思い出させる。1本しかない大通りを大きなフォードの車がV8のエンジンの排気音をとどろかせながら、ゆっくりと走り去る。テンガロンハットをかぶった老人がこちらをちらっと横目で見て、のろのろと歩き去る。映画の画面の中にいるようだった。1号線はまだまだ続く。マニトバ州に入った。バンドンを過ぎたところでキャンプをする。
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1976/09/10   予算オーバー
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 ウィニペグ市に到着。日本でよく耳にした町なので、どんなに美しい街だろうと期待していたが、ごく普通の大都市だった。住宅地は画一化された前庭のある家が並んでいたが、町の中心地は車があふれ、看板がいたるところにべたべた張られていた。私はこの町の美しい公園で休憩しようと思っていたが、すこし嫌気がさしてそうそう逃げ出した。
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 オタワに入る手前でキャンプ。バイクの整備だ。キャブのニードルの段数を変える。なかなかネジが緩まないので困ったが、数回ショックを与えて外すことができた。ニードルを1段下げたところ、回転の上りが良くなった。
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 バイクをいじっていると、リスが私のまわりを行ったり来たり走り回る。そしてキキキーと鳴く。後ろ足と尻尾で立っている姿はとてもかわいい。そのうち、私の足の上に乗ったり、バイクの上に乗ったり、テントのまわりから離れない。彼がそんなに私に親しくしてくれるので、私も彼を驚かしてはいけないと気をつかい、おかげで何もできなくなってしまった。
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 小鳥もやってきて広げていた地図の端にとまり、小鳥と目が合ってドキリとしたこともあった。飛び立つまで地図を持ったまま不動の姿勢でいた。
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 次の日、オンタリオ州に入った。湖と森林の国だ。美しい。
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 ドリデンの町でミッションオイルの交換をする。ドレインプラグとソケットレンチが空回りして、緩めるのに苦労した。ハンマーでたたいて緩めた。もちろん新しいドレインプラグと交換しておく。
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 キャンプしてバイクの点検をしたところ、後輪ディスクが非常に過熱しているので気にかかった。
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 テントにもぐり込んでからも顔だけ出して、12時ごろまで星を眺めていた。流れ星がたくさん見えた。これからの旅について考えた。もちろん、まず旅費のことだ。カナダでは予算オーバーだ。もっと一日の出費を減らさなくてはならない。タバコとコーヒーをやめよう。

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オートバイの旅日誌(13) カナダ [2-カナダ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(13)-1976/09/12 カナダ


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1976/09/12            スタンドマン
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 サンダーベイに近づくにつれて、針葉樹林から紅葉樹林に変わってきた。しかも紅葉が始まっている。冬がもうそこまで来ているのだろう。
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 尻が痛くなったので、少し早いがピクニックエリアでキャンプ。若者二人が話しかけてきた。サンダーベイからピクニックに来ているとという。他の6人の仲間にも紹介された。ビールを飲みながら話して過ごす。4人の若者はそれぞれ自分のワゴン車を改造して、冷蔵庫、ガスレンジ、ベッドを置いている。そして運転席には、市民ラジオ(携帯無線機)を取り付けていた。その車で、暇さえあればあちこちへ出かけるそうだ。ベッドもあるのでホテル代もいらないという。
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 東へ近づくにつれ、人も若者の態度も変わってきた。スタンドマンの態度も悪くなり、ドライバーのマナーも悪くなった。交通量も増えた。注意していこう。
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1976/09/13    スペリオル湖
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 朝から雨だ。100キロ近いスピードで進む。鼻に雨が当たり非常に痛い。ゴーグルのガラスの表面を雨が流れ、非常に見にくい。危険だと思うが、後ろから車が迫ってくるので、100キロで進まざるをえない。追い越されると水しぶきを浴びて、さらに前ぽが見えなくなる。
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 ゴーグルからフルヘルメットのシールドに変える。一度も使っていなかったものなので、よく水をはじき、前方が見えやしくなった。
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 寝場所を探しながら進んでいるとき、スタンドの人に州立公園へ行けばよいと教えられた。夏を過ぎた9月10月は利用者がいないから無料だという。そこはスペリオル湖畔にあるキャンプ場だった。テントをどこにはるか決める前に、雨に濡れて寒かったので、木の下で食パンをかじる。うまい。7枚も食べてしまった。
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 今日初めて車の音を聞かずに眠れるかと思ったが、スペリオル湖の浜に打ち寄せる音は意外とうるさいものだ。テントの中はさらに響く。
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 今日もリス君の訪問を受けた。こんなに人馴れしていてよいものかと思うぐらい、近寄ってくる。テントの中に入ってくるし、持っているノートの上に乗るし、困ってしまう。こちらは息を殺して、その仕草を見守るしかない。
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1976/09/14    ジョジェは頬に
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 冷たい雨だ。濡れた靴を履いて出発する。寒さが非常にこたえて、手足の指先が痛む。耐えられなくなって、ガススタンドのカフェーに飛び込んだ。店に人は、今日は特に寒いという。今年は冬が早いらしい。コーヒーを一杯飲んで、やっと指の先の痛みが取れた。日本を出発する前にけがをした右手親指が特に痛んだ。
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 それからだいぶ走り続け、あるピクニックエリアで休んでいると、同じバクの旅行者がやってきた。バイクはヤマハRD400で、私と同じおモデルだが、私のはRD250だ。そんなことですぐに親しくなった。
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 彼も寒いのだろう。持っている衣類すべて着こんで、丸々としていた。そのため雨合羽ははちきれている。また、ズボンの下から風が入らないようにビニールテープで足首を巻き付けていた。
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 私たちが話しているところへ、大きなキャンピングカーの老人が、コーヒーでも一緒にどうだ、と言って誘ってくれた。すごく大きなキャンピングカーだ。11トンぐらいある。老婦人は芸術家で、旅行しながら各地で水彩画を描いていた。日本美術に興味を持っていて、話がつきない。コーヒーだけでなく、昼食のステーキまでごちそうになった。
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 ワナの町に入り、スーパーマーケットの前にバイクを停めていたら、隣の車の中にいた女の子が、ニコニコしながら「世界旅行しているの。?」と話しかけてきた。
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 ジョジェというその女子は両親がフランス人で、フランス語と英語の両方を話した。今は公園の建設現場で働いており、その仕事仲間の若者たちとともに宿舎へ誘われた。彼らの宿舎はモーテルだった。彼らはそのモーテルに2週間も住んでいるという。
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 シャワーを浴びると、自分に身体を伝って落ちる水は真っ黒だ。気持ちが良い。すっきりしたところで、ジョジェの亭主とおぼしきマイクが呼びに来た。彼らの部屋の窓側に小さなテーブルが置いてあり、ローソクが立っていた。シチューともう一品フランス料理が並べてあった。彼女は日本料理が好きだという。私が「トウフ」は大豆から作るんだというと、彼女は大豆を持っているから作り方を教えろというのには参った。
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 彼女はスキーの先生でもあるらしく、毎年アルゼンチンへ行くという。私の予定とちょうど合いそうなので、また再会しようと約束した。
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 次に朝、7時半には仕事場へ行くトラックが迎えに来るという。あわててコーンフレークのミルクをぶっかけた朝食をとる。外はまだ真っ暗だ。マイクが昨夜の食事の皿をせっせと洗っているのを睡眠不足の顔で眺めていると、ジョジェが出てきて、「彼の手伝いをしたらどう。」と、単語を1つ1つ区切るように言って命令した。「ハイ。ハイ。」私は頭をかきながら、命令に従った。
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 トラックがやってきた。マイクはがんばっれよと言いながら握手した。ジョジェは頬にキスをしてくれた。
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 私もトラックを追って走り出した。天気は良くなったが、寒い。山の紅葉はさらに深まった。映画「男と女」の中のシーンで、雨の日、紅葉した森の中をドライブしていくところがあるが、そのシーンのように素晴らしい。
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 しばらく走って、セントマリーの町に入った。
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 人間が見たかった。できれば、かわいい女の子がよい。もう森の風景には飽きてしまった。
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 町でガス補給。1ガロン79セントと高かったが、ハイウエイでは、97セントもする時がある。
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オートバイの旅日誌(14) カナダ [2-カナダ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(14)-1976/09/17 カナダ


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1976/09/17    マルショウ
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 トロントに近づくにつれ、大雨になった。フルフェイスのヘルメットを被っているので、顔が濡れないからそう気にならないが、下着までずぶ濡れになった。昼にトロントに到着して、カナダヤマハに寄ってみた。パーツ係りのテッドと親しくなり、この週末を彼の家で過ごすことになった。
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 テッドは非常にバイク好きの青年だ。雨の日もXT500に乗って会社へ行くぐらいだ。彼の家は団地にあり、妹夫婦と一緒に住んでいた。彼の奥さんもバイクに乗る。その家の4人がバイク狂いである。ガレージには4輪車がなくて、バイクでいっぱいだ。彼らが普段使う4台のバイクの他に、いま整備中のバイクが2.3台あった。テッドは、「マルショウ」という日本製のBMWのコピー車を持っていた。
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1976/09/19   結婚パーティ
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 土曜日なので、みんな昼頃から起きだしてきた。テッドが一番最後だ。昨夜は一時過ぎまで私と話し込んでいたからだ。昼まで私は自分のバイクの整備をした。テッドはバイクに非常に詳しい。いろいろとメカニックについて聞くことができた。
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 昼からモールという百貨店のようなところへ連れて行ったもらう。一つの屋根の下にたくさんの商店が並んでいる。彼らは食料品以外は非常に高いと言っていた。その値段は日本と同じようなものだった。バイク用品は非常に高いらしく、彼らは私が教えた日本での価格にため息をついた。でも彼らはなかなかいい生活をしていた。ある青年は私よりも年下の22歳で、月給は千ドルだという。
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 その日の夜、テッドの友人の「結婚パーティ」連れていかれた。結婚式の前に、男だけ、女だけの独身最後の日のパーティをやるようだ。結婚を祝い、そしてまた、結婚式の費用を集めるうまい方法だ。
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 すべてセルフサービスで、冷蔵庫から好きなものを勝手につまみ出して、食べたり飲んだりする。パーティの終わりはブルーフィルム鑑賞で、独身最後の日をしめくくる。
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 次の日、4人で郊外のドライブへ出かけた。幹線道路はつまらないので細い田舎道を行く。みんなは非常に速い。このとき私は、久しぶりに空身のバイクの乗ったのだが、いつもと違ってバイクがあまりにも軽いので非常に不安に感じられた。つまり軽すぎるのだ。
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 130キロのスピードになったとき、ハンドルが激しく揺れ始めた。ハンドルを押さえても停めることができない。ブレーキを使うとさらにひどくなりそうだったので、自然にスピードが落ちるまで我慢した。バイク全体のバランスが崩れてしまったようだ。
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1976/09/20    寒さがこたえる
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 この日も大雨。オタワに通じる401号線までテッドが送ってくれた。往復10車線のハイウエイだ。通行中、エキスプレスというサインが目に入り、何だろうと思った。ハイウェイの中での特急車線で5車線のうち中央寄りの2車線をガードレールで囲ってある。通過する車と、短距離のだけハイウェイを利用する車とを分けていた。すごい雨で全身濡れてしまった。
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 毎日のように雨合羽を着ているので、ゴムの内張りがほとんどはがれてしまっている。
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 3日もテッドの家にいて身体がなまっていたので、寒さがこたえる。そうそう切り上げてピクニックエリアでキャンプ。
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1976/09/21    日本大使館
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 夜明け前に目がさめてテントの天井を眺めていたら、ガチャンという音とともにテントが揺れた。地震ではない。熊がバイクに体当たりしたかな、と思った。寝袋から出ようとしたが、こういう時に限ってチャックやひもがなかなか外れない。外に熊がいないかと、恐る恐るテントのチャックを開けて外を確かめた。
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 バイクが倒れている。ガソリンの匂いがして、音をたてて流れ出している。すぐには出られない。熊がいたら大変だ。毎日の雨で地盤が緩んで、バイクが倒れたらしい。頭の上でなくてよかった。
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 寒さがきびしくなったので、またカフェーで休むようになった。
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 コーヒーを飲み終えて店を出ようとした時、ヘルメットを手にした若者が入ってきた。目が合って、なぜか自然にヤーと声を掛け合った。ヘルメットを持っているだけで、お互いに同じ仲間という意識が生まれるのだ。彼は南アフリカの青年で国を出てから5年目だという。南アフリカ、イスラエル、フランス、イギリス、そしてカナダにやってきたという。中古のバイクを買って、カナダの旅が始まったばかりだった。
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 彼は旅先で知り合た若者たちの家を訪問しながら旅をしているらしい。ケベックやクリーブランドの友人の住所を教えてくれた。一泊できるだろうという。外国の若者たちは、友人の住所をお互いに教えあって旅行しているのだろうか。私には、そんな全く知らない人の家へはいけない。小さな家に大家族が住んでいる人もいるだろうし、ましてや、とつぜん汚れた姿をした旅行者が夕方、訪問して来たらどう思うだろうか。こちらの人は、友人の友人だからといって大歓迎するのだろうか。
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 オタワに着いて、日本大使館を訪問した。町の真中だが、探すのに一苦労した。ビルの10階の一部が日本大使館で、そこのドアは金庫のようだった。もちろん直接には入れない。壁のインターホーンで要件を告げるようになっている。私宛の手紙が届いていたら受け取りたいといったら、そんなものは届いていないと、門前払いだ。
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 町はずれのキャンプ場へ行く。シーズンオフで無料だった。


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