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オートバイの旅(57)Australia [8-オーストラリア]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(57)Australia-1979/06/18


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1979/06/18   カンガルーの死体
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 パースに到着。真冬だし雨の多い時期のはずだけど、良い天気で、寒くはなかった。簡単に上陸手続きがすんだ。しかし、バイクの受け取りは大変だった。船会社、港湾事務所、倉庫と回り、やっとバイクを受け取ったものの、検疫所の前庭で泥除けの裏側まで水洗いをさせられた。
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 上陸してしばらくすると、気分が悪くなってきた。建物の床が揺れるのだ。1週間の船旅で、体のリズムが船の揺れに慣れてしまったのだ。体が揺れ続け、こらえきれずに市内の1泊3ドルの安ホテルに飛び込んで、そのままベッドに倒れ込んだ。
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 次の日もフラフラしていたが、オートモービルクラブなどを回り、オーストラリアの車検を受け、ナンバープレートを手に入れた。これがないと交通事故傷害保険に入れないのだ。
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 やがて本来の天候に戻り、雨と寒い日が続くようになった。1週間もパースに滞在して、最後のバイクの整備をした。交換したパーツは、クランクシャフト、ベアリング、フロントタイヤ、チェーン、リアショック、バッテリーなどだ。最後の行程だが、砂漠の真中を行くので、ベストコンディションであることが必要だった。
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 荷物を床にぶちまけ、不要なものを整理した。最後はこのパースの町に戻ってくるので、20キロぐらいの荷物を置いていく。それだけの荷物を減らすと、バイクは驚くほど軽くなった。でも、後で後悔することもあった。
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 パースの町を出ると、すぐに牧草地帯に入り、民家もほとんどない景色になった。パースから100キロも北上すると、車の数もぐっと減ってしまった。ただ、風がやたらに強烈に吹き荒れる。ハイウェイの横に見える木は、海からの風にあおられて、長い年月の間に、幹が曲がってしまい、地面を這うようにして伸びていた。空は時どき雨を降らす雲が横たわっていた。
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 牧草地もなくなり、カノーバーに近づいたころ、雨雲が切れた。大空に一つの線が引かれ、南側には、うろこ雲が漂い、北側半分は青い空が輝いていた。そのあまりの違いに驚き、これから晴天の日が続くだろうと思うと嬉しくなった。
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 地図には200から300キロごとに大きな地名があったので、カノーバ―から一気に次の地点へ向かった。ところが、予定の距離になっても、それらしい町の気配がない。小さな丘を越えると、1軒のガススタンドがあった。そこが地図に上に大きく書かれている地名の場所だった。スタンドは、レストランも兼ねているところが多い。
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 北へ進むほど、そういった感覚のずれを感じた。普通の町と町の間は700キロぐらいは離れているようだ。
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 また、北へ行くほど、ガソリンの値段が上がった。パースではリットル26セントだったが、33セントになった。それに食料品も上がってきた。パスでは食パンが67セントだったが、1ドル近くになった。
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 ポートヘッドランドに近くなると、道路上に牛、カンガルーの死体が散らばるようになった。硬直して、縫いぐるみの人形のように丸々として横たわっている。太い尻尾が印象的だ。顔は歯をむき出し、怖い目つきをしている。
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 どこまでも赤い大地が続く。ブルーメまで来ると、寒さから一変して昼間は暑く感じられるようになった。テントを張り終えた後は、革ズボン、パッチを脱いで日光浴をするようになった。北部の牛の放牧地帯に入ってからはハエに悩まされた。水に飢えているのか、唇や目の周りにたかる。水筒にも群がる。イライラしてハエを殺せば殺した数だけ増えてしまう。叩き潰したハエに他のハエが体液を求めて集まる。また、そのハエの鈍さには驚く。目にたかるハエを追い払おうと、手で顔の前を叩くと、ハエが手の中でつぶれてしまう。


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1979/07/09   無線アンテナ
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 幹線のアスファルト舗装を3000キロも走ると飽きてしまう。それほど変化に乏しい景色だ。天気も良くなったので、デルビからギブリバー牧場を経由して、ウインダハムに至る悪路を行くことにする。
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 60キロほどアスファルト舗装が続いた後は、非舗装の車1台がやっと通れる幅になった。小さな川には橋もなくなり、それも進むに連れて深くなった。膝かしらまで水が来るようになった。そいうところに限って砂が深かったり、玉石がごろごろしている。やっと川底を乗り越えると、今度はパウダー状の砂地で転び、全身真っ白になる。
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 行程にちょうど中間ぐらいにマウンテンバネット牧場があり、ガソリンを売ってくれる。鉄柵を開けて中に入ると、牧場は川の向こう側にあった。両岸は砂地で勾配がきつい、川の中で転倒しないように用心してたどり着いた。中庭にドラム缶が転がっている。手動ポンプで入れてもらうが、量はドラム缶に棒を突っ込んで測る。リットル40セントで非常に高い。
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 牧場といっても「あの山とこっちの山の間が俺の牧場だ」というぐらいの大きさだ。ただ、牛を放してあるだけだから牧場らしくもない。「どこに牛が3000頭もいるんだ」と聞くと、「ブッシュの中だ。」という。そんなにあちこちに散らばっている牛を、どうやって集めるのかと聞くと「昔は馬に乗ってやったものだ。今は車で走りまわり、ヤッホーと叫んだら、集まってくるよ。時にはヘリコプターで追い集めるときもある。」
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 庭に無線アンテナがあったので、アマチュア無線でもしているのかと思ったら、この僻地の唯一の連絡方法で、急患が出た場合、それで連絡すればヘリコプターが飛んでくるという。テレビもラジオも届かないから、無線でニュースを知るのだ。」
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 また、子供の教育も無線でやっている。家の無線機からは、家の子供一人一人を呼び出して、無線授業が始まるところだった。先生が子供の名前を呼びかけ、元気にやっているか、などと話している。
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 明日は大きな川を2つ越えなくてはならない。それに備えて、早めにキャンプした。
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 オーストラリア名物のハエを能率的退治する方法を発見した。ただ頭を上げて目を開け、両手を顔すれすれにパチパチと叩けば、ハエがボロボロと落ちる。一度に3匹ぐらいは落ちてくる。それをアリが拾って運んでいく。
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 次の日、ウインダムの手前のギブリバーのあたりから、ひどい悪路になった。洗濯板状の凸凹が激しく、石がでっぱり、砂も多くなった。40キロも走るとうんざりする。食料は3日分しか持っていない。今夜が最後だ。嫌でも予定通りに進まなくてはならない。ギブリバーから100キロで川に到着した。川幅は広いが、歩いて渡ってみると川底は安定していたので、問題なく渡りきることができた。
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 さらに100キロ進むと最後の川に出合う。川幅は広いが、何でもない川のように見えた。歩いてみると、大きな玉石が転がる不安定な川底だった。水深は膝まである。2回往復して歩いたが、コースが決まらない。安全のために歩いて荷物を対岸へ運んだ。わずか80メートルの距離だが、一度にたくさんの荷物を運んだものだから、川の真中でへたばってしまい、荷物を降ろすこともできずに立ち往生した。2回往復して運び終えたが、苦しい。
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 水深はクランクカースの上まで来る。川の真中まで来ると、マフラーの出口がみずの中に入り、音が変わってきた。回転が下がるとエンジンが止まりそうだ。スロットルグリップを開け、注意深く玉石を1つ1つ越えて行った。


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