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オートバイの旅(旅費の準備) [その他]

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旅費の準備 

 

 私は、旅のスポンサーを探すのが旅の始まりと考えました。国内国外から援助してくれる会社を探してみたかったのです。そのために、まず新聞社や雑誌社に旅の記事を書いてもらいたくて、あちこちに取材を申し入れました。その後は多くの日を図書館で過ごしていました。大会社の住所を探していました。図書館で計画書を作成し、300社ほどに援助の依頼を送りました。その内の50社ほどから返事が返ってきました。その内容は以下の通りです。

 

1.オートバイ・・・・・チャンピオンスパークプラグが、ヤマハのオートバイを提供してくれました。さらに取引先の販売店でオートバイの修理技術を学ぶ機会を作ってくれました。エンジンの分解は当然で、ホイールのベアリングの交換まで教えてもらいました。ヤマハRD250を完全に分解できるまで教わりました。その当時、オートバイは2ストロークが主流で、4ストロークを選択する気持ちはありませんでした。さらに250か400かの選択肢がありましたが、当初から250と決めていました。

 

2.オートバイの備品・・・・東京新宿の南海部品さんが革のライディングスーツ、風防、サイドバッグなどを提供してくれました。

 

3.キャンプ道具・・・・・東京新宿の石井スポーツがテント、寝袋などを援助してくれました。

 

4、海外のガソリン会社・・・・ほとんどがシェル石油でした。しかし、当時はカードなどはなかったので、本社の近くでガソリンタンクを満タンにするだけであまり効果的ではありませんでした。

 

5、タイヤ・・・・・ドイツのコンチネンタルがドイツ本社に来た時に提供してくれました。

 

6、航空会社・・・・・・ナウル航空がオーストラリアからのナウルまでの便を申し出てくれたが、ナウルへ行く予定がなかったので、残念しました。

 

●旅行中の旅費

 

 私は設計事務所の会社員生活を4年ほどしていました。26歳で退職した時には、貯金が200万ほどありました。東京の下宿生活をしながら旅の準備をしたのですが、準備期間中は収入がありませんでしたので、貯金はどんどん減っていきました。日本から持ち出せる外貨は制限があり、50万円ぐらいでした。残りの旅費は学生時代の先輩がアメリカに住んでいましたので、親族送金を使わせてもらいました。アメリカで残りのお金をUSドルとして、手に入れることができました。

でも、それらの大半は、大陸間の移動の際に使う予定だったので、全く足りませんでした。大陸間の移動は当初から航空機を使う計画だったのです。船の移動はありえないと考えていました。

 

1、宿泊場所・・・・宿泊費にお金を使う予定は全くありませんでした。すべてテントです。ホテルに泊まったのは、やむを得ない時で数えられるほどの回数です。2か月以上の間、シャワーも浴びない時がたびたびあったと思います。パナマに着いたときは、すでに体から匂いがする人間になっていました。運送会社の職員がTシャツと石鹸をくれたことがありました。アメリカではヨーロッパの旅行者と知り合い、ヨーロッパに着いたら来るようにと言われたのですが、それらの家を訪問して歓迎されることは、あまりなかったのです。汚い姿の人を迎えるとき、彼らは居間には案内しません。台所です。そこでコーヒーをいただいて逃げるようにして、その家から離れました。そんな経験をすると、アフリカ、アジアは天国でした。誰も姿で差別はしません。床の上に一緒に寝るのです。

 

2、食事・・・・・・お金はガソリン代に使いました。レストランへ行くことはありませんでした。食事はパンが中心となり、パンだけの時もたびたびありました。しかし、それは変な店で変なものを食べ体を壊すより安全だったのです。日本に帰り着いたときは、完全に栄養失調になっていました。歯が割れ、腕の筋力は全くありませんでした。

 

3、オートバイの整備・・・・ヤマハはスポンサーではありませんでした。実家の姉に旅の事務局になってもらい、各国のヤマハの代理店に旅の報告を定期的に送りつけました。私のバイクの整備を当然するものだと思うようにしたのです。しかし、ほとんど国では、私の乗るRD250の部品の調達は期待できませんでした。日本のバイクは世界で有名ですが、ほとんどが500以上か90クラスの小型車なのです。そこで、バイクの部品のほとんどを日本から持ち出しました。それでもバッテリーとブレーキシューを旅先へ送ってもらいました。日本大使館宛で受け取りました。

 

4、治療費・・・・・オートバイの無税通関保険には入っていましたが、海外傷害保険には入っていませんでした。実は、そのような保険があったかも調べていません。アフリカのアルジェリアで羊と衝突してしまい。手首を骨折してしまいました。アルジェリアは社会主義の国で医療費は無料だったのです。だから外人といえども医療費の請求はありませんでした。さらに私は2か月間も病院に滞在していました。

以上、旅費について簡単にまとめてみました。

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