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オートバイの旅(43)Argeria [5-アフリカ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(43)Argeria-1978/01/12


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1978/01/12   ハエ
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 水6リットル。パン6本。オイルサーディン缶6個。オイル6リットルを持って出発。しばらく行くとアスファルト舗装が終わった。その先は軍によって、新しい道路が建設中で、トラックのワダチが入り乱れていた。どれが本来の道なのか区別がつかず、道に迷った。心配していたより良い道だ。よく整備されていて、砂の深いところは、地盤まで掘り下げてあった。しかし、激しい凸凹は変わらない。
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 2時過ぎ、風も出てきたので、キャンプ地を探す。朝から150キロ進んでいた。岩山の陰でテントを張る。この何もないところに、どこからかハエが集まってきて、私に群がった。まさかバイクにくっついてタマンラセットから来たとは思えない。何を食って生きているのだろうか。オイルサーディンの缶を開けると、更にその数は増えた。いくら群がっても気にするまいと思ったが、やはりだめだ。殺虫剤を取り出して、靴、ズボン、ジャンパー、テント、シートに吹きつけた。その匂いでしばらくはいなくなる。
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 バイクの整備にかかった。(プラグ、ポイント、エアクリーナ、)異常放電をしているのだろうか。バッテリーは熱くなっていないが、エンジンを掛けないとフラッシュランプは点灯しない。このバイクはバッテリーの充電がなくなるとエンジンはかからない。念のためにレギュレータを交換した。


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1978/01/13   小さな虹
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 夜明け前に、すごい風が吹く。砂嵐でもやってくるのかな。9時過ぎ、風がやんだので出発。空はどんよりと雲に覆われている。昨日と同じような洗濯板状の道を進む。工事中の道路にぶつかり、また私は道を失った。うろうろするうちに新しくないがトラックのわだちを見つけた。昨日の雨と風でワダチはどれも半分消えていた。そのワダチは進むにつれて、数が少なくなり、ついに2本になってしまった。本来の道ではないと思ったが、なぜか引き返ことができない。ただ、そこから抜け出したい一心で、ひたすら先へ進んだ。
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 がむしゃらに進んでいると、横からショベルドーザーに乗った4人の軍人とあった。私は近づいてインシャラへ行くのだというと、彼らは逆の方向を示した。彼らのフランス語は、まるで分らない。彼らは、とにかくあっちの方向へ真っすぐに行けという。何も目標はない。ただ真っすぐに行けというのだ。私は言われた方向に不安な気持ちを持ったまま走りだした。コンパスを取り出して方向を確かめると北の方へ向いていた。砂漠の中のワダチは少し離れるだけで、見えなくなってしまう。
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 トラックの古いワダチが1本あった。すぐ近くにメインルートがあるはずだ。落ち着くために、エンジンを止め、タバコを吸う。車が見えないかと周りを見てみた。車が来れば、遠くからでも道の位置が分かる。その方向へ真っすぐに走ればよいのだ。古いトラックのワダチをたどっていくと、たくさんのワダチにぶつかった。本来の道だ。今日付けられたらしい新しいものもあった。しかし、左か右か、どちらの方向へ走ったら良いのかわからない。コンパスを見て、北西の方向へ向かった。
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 3時ごろ、天気が悪くなってきたので、山陰にテントを張る。風が吹き荒れ始めた。カサカサに乾燥してしまったパンを食べるには大量の水が必要なので、パンは少しでやめてしまった。
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 バイクを点検していると、とうとう雨がやってきた。テントの中に逃げ込んだ。テントと地面が濡れてしまうぐらいに、この砂漠の中に降った。降ったりやんだりして、その合間にバイクの整備をする。小さな虹も見えた。
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 テントの中で日記を書いていると、この近くで働いているらしい軍人が、私のテントを見つけて寄ってくれた。バイクが故障したのかと心配してくれたのだ。彼は私にタバコを置いて行ってくれた。
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 夜になるとテントが千切れそうになるほどの風が吹いた。支柱を押さえながら寝る。


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1978/01/14   補助コック
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 今朝もあまり天気が良くない。水が悪かったせいか、どうも下痢気味だ。今日はできれば150キロ先のアラックに行きたい。ガソリンがあるというから食堂や食料品店もあるだろう。タバコも買えるだろう。


 ほとんど砂がない路面だったが、やはり激しいコルゲーションでバイクが壊れそうだ。胃袋がおかしくなりそうだ。苦しい。ところどころに車のマフラーやナンバープレートが落ちている。
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 ガソリンの状態は、いつもより早く補助コックに変わった。リットル当たり10キロ以下になった。タマンラセットから400キロの地点になっても、まだアラックに着かない。少しイライラしてくる。道を間違えたかな。行き過ぎたかな。イライラしてくると、いつもより幻を見るようになる。遠くに家や車が見えてくるのだ。
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 砂塵の詰まった穴に落ちて、転倒する。ガソリンがほとんどないので、バイクは軽く起き上がった。前方から、旅行者の車が2台やってきた。手を振る。サハラを超える車は、トヨタのランドクルーザやイギリスのランドローバーが主で、その他に小さなシトロエン、プジョーの乗用車、中型バス、フォルクスワーゲンのマイクロバス、小型トラック、大型トラックといろいろだ。色もカラフルだ。
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 やがて、山と山の間に緑を見つけた。アラックのオアシスだ。軍の移動宿舎があった。どこにガススタンドがあるのだろうと探しているうちに、その村から出てしまった。仕方なく軍人の宿舎を訪ねた。彼らはスタンドの場所を教えてくれた。食堂も食料品店もないことを知らされて、がっかりした。スタンドには子供が4人いた。顔にハエがたかり、顔は私のようにバサバサだ。どこからこのハエが湧いてくるのか不思議だ。ガソリンを40リットルだけ買う。値段はタマンラセットと同じ公定料金で145ディナールだった。主人からタバコを4個分けてもらう。水は軍の宿舎でビニールの大きな袋に入れていたものを分けてもらった。
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 ここから45キロ先でアスファルト舗装になると聞いたので、食料の心配もなくなった。インシャラまで300キロだ。
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1978/01/15   オアシス
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 タマンラセットからインシャラまでの新しい道路は、ほとんど基礎工事を終え、後はアスファルトを流すだけだった。今年中に完成するらしい。
 今日も曇っている。地図をよく見ると、雲がアトラス山脈をこえ、ここまでやってきているようだ。アラックを出て、砂の上に放置されたフォルクスワーゲンのマイクロバスを見つけた。まだ新しいオーストラリアの車だ。どうやら、ここで故障して捨てたらしい。また、激しい洗濯板が続く。現地のトラックに出会って、ここから道をそれて、ブッシュの中を行けば、アスファルトの道路に出ると教わった。しかし、私は最後までこの凸凹道を行くことにした。道は山の間を縫って進む。水のない川にぶつかると、それに沿って進む。時どき道路の真中に車が転がっている。ボディの骨組みを残して、すべてむしり取られて何も残っていない。
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 道は相変わらず凸凹だ。時速25キロで進む。エンジンの調子がおかしくなりそうだ。風はほとんどなくなった。崖の下を行くと、小さな井戸が1つだけのオアシスに出会った。絵本に出てきそうなオアシスだ。砂の世界にそこだけが、みずみずしくて、美しいヤシの木が茂り、土壁に家があった。しかし、どういうわけか、その周りには鉄条網が張り巡らされ、ちらっと人影が見えた。
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 いつの間にか3時を過ぎていた。150キロの地点でキャンプする。真平で、何もない殺風景なところだが、今日は風の心配はないだろうと思った。最後のオイルサーディンを食べる。


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