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オートバイの旅(42)Argeria [5-アフリカ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(42)Argeria-1978/01/07


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1978/01/07          うまく着地してくれた
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 昨夜、補給したガソリンが全部、流れ出してしまっていた。タンクの中は空になっていた。ガスコックを閉め忘れたのだ。今までコックを閉め忘れてもガソリンがすべて流れ出すことはなかった。原因を調べる以上に、これでガソリンが足りなくなりことが確かだった。
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 予備ガソリンのコックを切り替えると、またガソリンが流れ出した。キャブからオーバーフローしたガソリンが砂に吸い込まれていった。キャブのバルブシートがいかれてしまったのだ。トラックはすぐに出発するだろう。修理などする時間はない。私はもうサハラ砂漠を縦断をあきらめてしまった。ガックリしていた私を日本の青年たちが励ましてくれた。ちょうど税関の手続きが始まっていたが、時間がかかっているようだから、その間に修理すればよいというのだ。
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 私は彼らにパスポートを渡して、私の通関手続きもやってもらうことにした。キャブレターをはずして点検した。振動でフロートレベルが上がってしまているのが分かった。なんとか修正した。そして、たまたまアリジェからやってきていた旅行者から5リットルのガソリンを分けてもらうことができた。これでなんとかガソリンは足りるだろう。
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 トラックはまた走り出した。遅れないように追っかける。石の多いところは、トラックのスピードは急に落ちた。時速30~40キロだ。しかし、それもつかの間で、凸凹の全くない砂の平原になると、トラックは80キロ以上で突っ走るのだ。また、遅れた。車が一度通過したところは、砂の固くなった表面がくずれていて、ハンドルが取られる。ワダチノないとことを選んで90キロで追いかけた。非常に快調に進んだが、前方に何かあっても避けることができない。砂の柔らかいところを避けて、少し高いところに登った時、その反対側はストンと切れ落ちていた。もちろんブレーキは間に合わない。そのまま落ちてしまたが、バイクはうまく着地してくれた。
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 1時過ぎ、トラックの群れはある廃墟の小屋の前で停まった。すぐにバイクの整備だ。エアクリーナは砂で詰まっていた。トラックの砂埃を吸い込むのではなく、バイクが砂の中で停まってしまったとき、後輪が巻き上げる砂を吸い込んでしまうのだ。昼食をとる時間がなく、水を少しだけ飲んだ。トラックは暗くなっても、今日中にタマンラセットまで走り続けるのだろうと心配したが、運転手は6時にはトラックを停めると言ってくれた。


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 先頭のトラックについてスタートしたが、しだいに遅れて、最後のトラックに追いすがるのが精一杯だ。そして夕方だんだん陽が落ち始めた。もう付いて行けないと思ったとき、前方で4台のトラックが並んで待っていた。日本の青年たちは、私が来れるかどうか本気で心配していてくれた。この後もこのトラックは私が遅れても待ってくれないだろう。その日のうちにたどり着けなくても彼らが引き返してくるはずはない。ともかく、落伍しないように全力をあげなくてはならず、すぐにエアクリーナとプラグの整備だ。再度キャブレターの点検をする。エンジンは好調になったが、前輪がパンクしていた。修理する時間はない。小さな穴らしいので、空気圧をあげてタマンラセットまで持たせることにした。
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 すぐに暗くなった。日本の青年たちは、まったく食料を持ってきていなかった。1万フランも払っているので、食事が出るものと思っていたのだ。私のパンやオイルサーディンを分け合った。私は食欲がない。疲労と緊張で眠れなかった。もう1日苦しい走行をしなくてはならない。朝がやてくるのが怖かった。
 東の夜空にさそり座、北にカシオペアが見られた。
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1978/01/08   ぐっすりと眠った。
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 空が明るくなるとすぐ出発だ。あと150キロだ。今日はいくら遅れても町に着けばよいと思うと少し気が楽だ。
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 今日の道はトラックにも厳しく、走り出して早々、1台のトラックが砂に埋まったのだ。私は「ざまーみろ。」という気持ちだった。もちろん私のバイクもそこで動けなくなったが、それほど苦労せずに脱出できた。2台のトラックと私は彼らを残したまま出発した。途中で一度待ったが、2時間待っても来ないので、私たちは、そのままタマンラセットへ向かうことにした。
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 タマンラセット周辺は山道だった。ほとんど砂がないのだが、激しい洗濯板状になっていた。町に近づくにつれ、エンジンのパワーが落ちたが、なんとか走り通した。
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 私たちは、待ちぼうけを食ったようだった。後のトラックは砂が深いので、別の道へ迂回し、すでに町に到着していた。
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 900キロを走り通したのだ。嬉しかった。しかし、まだインシャラのオアシスまで700キロの砂の道がある。どのようにして行くか考えなくてはならない。もうトラックと一緒は嫌だ。マイペースで行きたい。ただ、ガソリンをどうするかだ。
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 荷物を全部、バイクに乗せるとずしりと重い。フラフラしながら走り出した。町の入り口にゲートがある。まず、税関へ行く必要があるのだが、早く何か食べたくて、そのまま町に入った。
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 最初のアルジェリアの町のメインストリートはアスファルト舗装だった。どこに食堂があるのかさっぱりわからない。日曜日のせいか、今まで通ってきたニジェールや他のアフリカの町と比べると非常に静かだ。その静かさに不安を感じる。物を売り歩くものもいないし、群がってくる子供もいない。人は静かに歩いている。わめくような奴もいない。ここの町も土壁でできていたが、ちゃんとした家になっている。役所も土壁だが、立派なものだ。看板はすべてアラビア文字でさっぱり分からない。
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 フランスの町中のように歩道にテーブルを出している店もあった。そこで食事をした。値段が6ディナールであることを確かめて注文した。約450円。非常に高いが、何でもよいから食いたかった。ニジェールのように100円のめし屋はないようだった。物価が高いのだ。
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 料理はトマトソースの中に豆と一切れに肉がはいっているだけだ。それとアルジェリア風のパンに少し冷えたスープだが、文句を言う前に全部食べてしまった。
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 税関の申告と入国手続きをした後、町の外へ行き、キャンプする。久しぶりにテントの中でぐっすりと眠った。幸せだった。
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 このタマンラセットで4日ほど滞在して、クラッチの点検、ステアリングの修繕、パンク修理をした。そして、ガソリンを運んでくれる旅行者やトラックを探した。トラックはガソリンを積むのを嫌がた。ここから400キロ先のアラックで、ガソリンが手に入ることが分かったので、一人で行くことにした。そしてこの町のガソリンがいつなくなるかも心配で、早く出発を決めたかった。ガソリンを購入した次の日、町からガソリンがなくなった。ガススタンドは一軒だけなのだ。


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