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オートバイの旅(41)Niger [5-アフリカ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(41)Niger-1978/01/04


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1978/01/04   5台のトレーラー車
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 ガソリンと荷物を運んでくれるトラックが見つかった。 5台のトレーラー車のグループに加わって進むことになった。前夜に約80リットルのガソリンをトレーラー車の荷台に積み込み、トラックの荷台で星を見ながら寝た。
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 翌朝、また私はガススタンドへ走り、予備のガソリンをトラックへ運んだ。運転手たちは、またガソリンかと驚き、爆発しやすいからダメだと言い出した。そして、すでに積み込んであるあった私の荷物とガソリンを降ろしてしまった。今更、そんな大量のガソリンを抱かえ込んでどこえも行けない。癪に障ったので、そのままのしたまま、コーヒーを飲みに行った。
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 このトラックには、日本の青年2人とヨーロッパの青年3人が便乗することになっていたが、運転手たちが一人1万フランの料金の分け前をめぐって仲間割れをしていたので、私たちはすっかり嫌になってしまった。
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 別のトラックが私の荷物を運ぶことになった。昼過ぎに5台のトラックがあわただしくアガデスの町を出発した。私は3日分の食料としてパン6本、オイルサーディン6缶を買っていた。
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 運転手たちは2日半でタマンラセットに着くといった。私は、この巨大なトレーラー車の群れの中に入って走り出した。これら5台のトレーラー車は、洗濯板のような凸凹道を80キロ以上のスピードで飛ばすのだ。私は荷物はないのだが、付いて行くのに必死だった。更に、いつも30リットルのガソリンを積んで走っていたので、バイクが軽すぎて安定しない。リアクッションセッティングがそのままなので固すぎて、バイクが跳ねた。フラフラして何度も砂にハンドルをとられた。
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 初日なので、トラックは何度も停まっては点検して進んだ。おかげで、私は非常に疲れていたが、遅れることなく付いて行くことができた。トラックが停まるたびに荷台に飛び乗ってはガソリンを補給した。激しい振動で荷台の上の予備ガソリンは、あちこちに転げまわっていた。2リットルの予備タンクは全部こぼれてしまっていた。危険だった。他は大丈夫だった。また、バイクの振動でバイクのメインキーが抜けて飛んでしまった。あわててスペアーキーを荷物から探し出した。バイクのほとんどの部品が、擦れ減っていた。

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 夕方6時にトラックの群れは熱湯の出る井戸の周りに集まった。停車すると、すぐに私は、調子が悪くなったバイクの整備をした。エアクリーナは砂で詰まっていた。プラグのチェック、ポイントの調整をする。すぐに暗くなった。ガソリンとオイルの補給をして、トラックの荷台でパンとオイルサーディンを食べて、すぐに横になった。

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1978/01/06   トラックはどこへ行ったんだ
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 明るくなると同時に出発。この日はもう死ぬかと思うぐらい苦しかった。トラックは全輪駆動車で、10個の大きなタイヤを付けている。少しぐらいの砂では問題なく進んでいく。バイクはそうはいかない。朝、走りだしてすぐバイクは砂の中で、もがくようになった。トラックは砂の浅いところでは、ルートからそれて近道をして行く。しかし、彼らも砂が深くなると、すぐにルートに戻った。
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 ちょうど砂が深くなったとき、私はワダチの中を進んでいたが、砂の中にもぐってしまい、動けなくなった。後ろからはトラックが迫ている。いつまでも私が停まっていれば、トラックも砂にもぐって動けなくなる。必死で両足を出して砂を蹴った。トラックの動きがバックミラーで見える。みるみるうちに私の後方に接近する。焦ればさせるほど動悸が激しいなるばかりで、バイクが進まない。トラックが私を踏みつぶしそうになったとき、その砂地から脱出した。
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 トラックのワダチに乗り上げて、私は転倒した。すぐ後ろからやってきたトラックが脇すれすれに通過していく。バイクはタイヤを上にしてひっくり返った。なかなか起き上がらない。すぐにトラックの後を追いかけたが、もうその姿は見えなかった。風景など見る余裕はなかったが、少し植物があったようだ。刺のある草が一面に生えているところもあった。
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 エンジンがノッキングするようになった。スロットルグリップがフルになっていた。もう走るのは無理だ。エンジンを止めた。エアクリーナを取り外すと砂がこぼれ落ちた。どこに住んでいるのか子供と男がたちがどこからかやってきた。遊牧民たちだ。工具にさわろうとするので、怒鳴って追い払った。
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 好調な排気音が戻った。グリップを回すと敏感に反応し、回転が上がった。必死でトラックを追った。どこへ行ってしまたのだろう。いくら進んでも姿が見えない。走り出してから100キロを超え、補助コックに代わった。あと3リットルだ。130キロを過ぎた。まだトラックが見えない。あせった。間もなくガス欠になる。
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 砂丘を超えたとき、前方にトラックの一団が見えた。しかし、確認するまで安心できない。ちょっとした樹木とか、なんかの光の反射でトラックの一団に見えるようになっていたからだ。
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 よかった。まぎれもなくトラックの一団だった。運転手たちは昼飯の支度をしていた。私は追いついた嬉しさを楽しむ暇もなく、すぐにバイクの整備を始めた。エアークリーナを外したら砂がこぼれ落ちた。食事をする時間もなく、整備が終わるとトラックは走り出した。

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 トラックに便乗している日本の青年にカメラを渡し、私の走っている姿を撮ってもらうことにした。運転手に、私の走行距離は100キロぐらいだと伝えたが、彼らはとても待ってくれそうにもなかった。5リットルの予備ガソリンを持て走ることにした。バイクを上下に揺さぶりながら、砂の深いところを進んだ。後輪が空回りする。すぐにトラックの姿は見えなくなった。しかし、その先で彼らは仲間のトラックと出会って休んでいたので、やっと追いついた。喉がカラカラだが、休む暇はない。トラックの荷台に上がり、ガソリンを補給した。そのとき少しガソリンを飲んでしまった。タンクから移すときに、私はガソリンをホースで半分ほど吸い込んで移していたのだ。唇が荒れ始めた。トラックの荷台の上の荷物やガソリンは、いくら整理して固定しても荷台の上を転げまわった。ガソリンがこぼれていた。危険だが仕方ない。
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 再び、トラックとはぐれてしまた。私はメインルートを走ったが、彼らはルートからそれて近道をしていく。夕方、やっと合流して、その後はトラックから遅れないように必死にくっついて走った。そして暗くなり始めたころ、国境事務所のあるアサマカに到着。今日はここでキャンプだろうと思ていた。しかし、出国手続きが終わるとトラックはアルジェリアの国境へ向かった。今日中に出入国手続きを終えておくつもりらしい。
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 私はガソリンを補給する暇もなかった。運転手はすぐそこだという。すぐ暗くなった。私はどんどん遅れた。最後のトラックが私と並んで、路面を照らしてくれたが、それにも引き離されてしまった。砂埃がもうもうと立ち込める。バイクの小さなライトでは前方がよく見えない。トラックのワダチを探しながら進んだ。まわりは真っ暗だ。突然砂の山に突っ込んで、バイクはすぐに止まってしまった。後輪が空回りを続ける。両足を出して押すのだが進まない。呼吸が苦しくなる。
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 前方に小さな光がちらりと見えた。車の尾灯だ。しかし、道が分からない。真っすぐその赤い光に向かって進んでいった。そしてもう少しの所でその光は行ってしまった。
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 今度は岩と砂が交互に現れた。何度も何度も転んで苦しい。バイクを起こす元気もなくなっていた。トラックはどこへ行ったんだ。バイクはオーバーヒートしていた。もうじきガソリンがなくなってしまう。どこかでぶつけたらしく右足が痛む。もう野宿しようと考えた。エンジンが冷えるまで真っ暗な中で休んだ。
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 少し元気が出たので、最後のトライをする。しばらく行くと、遠くの方に白い光が見えた。アルジェリアの国境事務所だ。目頭が熱くなった。そこまで一気に突っ走った。私は運転手を捕まえて、今夜はこれ以上行かないでくれと頼んだ。そして、落ち着く暇もなく、運転手たちの夕食の明かりをたよりに、バイクの整備をした。冷え込む夜だった。

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