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オートバイの旅日誌(36)Central africa [5-アフリカ]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(36)Central africa-1977/09/29


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1977/09/29   バンギへ引き返す
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 首都バンギまで200キロの地点に来ると道は2車線になった。あまり疲れずに走れるが、休憩の回数を多くして疲れないように進む。雨の時は、やはり非常な悪路になるらしく、泥に埋まったトラックが放置されている。雨が終わった後は、泥が乾き、逆にタイヤを締め付けて動けないようだ。


 1時頃、ボセンベレに到着。明日の朝、バンギに入るため、この日は4時ごろまで進むことにした。3時ごろ、バンギまで70キロの地点でバイクが急にフラフラする。パンクだ。この旅に出て、2回目のパンクだ。すぐ近くに民家があったので、庭先でパンク修理をする。大きな錆びた釘が刺さっていた。


 その作業中、車イスに乗った青年がやってきた。パンクを直してくれという。2本のチューブをつなぎ合わせた代物で、パッチを何枚張っても直らないと思ったが、その足の不自由な青年を納得させるには、とにかく張ってみるしかなかった。ところが、それが直ったのである。青年は非常に喜んで、3キロ先の村へ帰っていった。
 
 次の日も市内の手前でパンクした。首都バンギでは、アメリカの海外青年協力隊のアパートに泊まって、これから先の旅の準備をした。アメリカの青年たちは、中央アフリカに井戸を普及させる仕事の準備中だった。


 3日ほど滞在して、中央アフリカの東部の町バンガスへ向かう。そこからザイールへ入国するつもりだ。まさかガソリンが地方にはまたくないとは予想していなかったが、いちおう予備ガソリンンを20リットル積んでいったので700キロ先までは無給油で達した。途中、綿花集積場で8リットルほど分けてもらい、バンガスの町の着いた。しかし、町には一滴のガソリンもなかった。


 首都バンガスへ帰るにも40リットルのガソリンを手に入れる必要があるし、また、川に向こう側のザイールへ入国するにしても、以前からガソリンが不足していることを聞いているので、とても川を渡る気にはなれない。ただ、待つしかない。


 3日間が過ぎた。銀行もないし、残りの金も少ないので、市場で揚げ物などを買って食いつないだ。昼間は日陰を求めて、広場周辺をうろうろした。本がないので旅行ガイドブックを全部読んだ。ガソリンを保存していそうな綿花集積場や教会を訪ねたり、バンギへ引き返すトラックを探したが、まったくだめだ。


 ポリスが、バンギへ引き返すトラックを見つけてくれて交渉してくれた。運転手はバイクを積んで行くのを嫌がたが、ポリスに弱みがあるのか、しぶしぶOKした。


 800キロの道のりをトラックは1週間以上もかかってバンギに到着した。連日の雨で道がぬかるんでいたからだ。バンギでチャドのビザの取得やバイクの整備をする。ガソリンは20リットルの予備では不足なので、5リットルの缶を2つ買った。チャドのビザは、トランジットと入国ビザしかなく、4500フランを請求されたときは、信じられなかった。(約9万円)


 バッテリーが異常になっていたが、ボルテージレギュレータの交換で直った。バンギのアメリカ青年たちのアパートで1週間滞在しているうちに雨季が終わった。
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1977/10/26   ブルタコ250
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 快晴だ。ガソリン43リットルを積んでチャドへ向かう。晴れると、今度は砂の路面が白く反射して、道路の穴がよく見えない。穴に落ちてたびたび転倒した。リムは凸凹に歪んでしまった。


 昼頃、前方からやってくるバイクを見つけた。ドイツからサハラ砂漠を超えてきた青年だった。同じバイク旅行者仲間として、この出会いは本当に嬉しかった。これからケニヤまで行くらしいので、この国のガソリン事情を教えたが、教会で分けてくれるだろうと、まったく心配していない。彼のバイクはブルタコ250だ。彼はサハラを超えて男になったという感じであった。


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