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オートバイの旅日誌(22)USA [3-USA]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌


(22)USA-1976/11/02


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1976/11/02   塩を吹いている
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 ビルの下宿を出発してデスバレーへ向かう。スプリングマウンテンの峠を越えると、道はどんどん下る。地の底へ向かっているようだ。車は一台も通らない。気温がだんだん上がってくる。バイクで走っているというより谷底へ吸い込まれていくように感じる。
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 谷底に降り立つと道は悪くなった。まわりの山々から落ちてくる土砂がすごくて、道路を半分埋めてしまっている。ある場所では熱と風の浸食のためか、道路の基礎がむき出しになり、路体はこなごなになっていた。
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 谷の底には小さな池があった。池のまわりは塩を吹いている。カメラを通してみる景色は別に他の土地と変わらないが、海面と同じレベルの窪地にいると思うと楽しくなる。まわりの山々の高い壁面を見ていると、アメリカ大陸のすべての土砂がこの谷へ流れ込んで来るような錯覚さえ起こす。
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1976/11/03    オーバーヒート
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 ストアーパイプウェルズの町は、昔は銅山の町で、そのとき使用された機具などが展示されていた。蒸気で走るスティームトラックがあった。運転席の横に大きなボイラーがついている。
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 その町からロネパインまでは登りが続いた。峠まで一気に約1000メートルを登ることになる。だんだんオーバーヒート気味になり、エンジンのパワーが落ちてくる。スロットルグリップがどんどん回っていく。シフトダウンしてもスピードは落ちる一方だ。
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 なんとか停車できるところを見つけ、バイクの点検だ。オイルはいっぱい。ミッションオイルも適量だ。オイルポンプもOK.どうやらオイルの質が原因らしい。リットル80セントの安いアウトボードオイルだ。ピストンに穴があいては困るので、たびたび休んで峠を登り切った。
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 ビッグパインに着いた私は、キャンプために山の奥のレストエリアへ向かった。ビッグパイン(大きな松の木)は、地図では森林地帯になっていたが、樹林なんかほとんどない。やがて谷川の脇に巨大な松の木を発見した。なぜ、こんな大きな松の木があるのに、まわりは石がむき出しの禿山だ。やはり、伐採が激しく行われて、そのまま放置したために表土が流れてしまったのだ。
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1976/11/04    明日の峠のために
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 ビッショプの標高は4147フィート。今日は3000フィートを何度も登ったり下ったりしなくてはならない。
 まず、セウィン・サミット峠(7000フィート)に挑戦する。ある所では3速まで落として登り切った。そしてどんどん下り、デッドマンサミット峠(8041フィート)、それからコンウェイサミット峠(8138フィート)、またどんどん下がり、ブリッジボード(6465フィート)まで下る。そして最後にルート89号線に入ってモニター峠(8314フィート)に挑んだ時から、バイクはオーバーヒート気味になり、ギヤーを落としてもパワーはどんどん落ちていく。
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 坂の途中で停車すると焦げ臭い。スロットルグリップを話すと、エンジンが止まりそうだ。オイルの量を増やし、キャブのニードルポジションを変更して、ガソリンの量を増やした。なんとか頂上まで登ることができた。そして、マークリー村(5526フィート)まで転げ落ちるように下った。
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 湖畔でキャンプし、明日の峠のためにスパークプラグの変更、ポイントの点検と調整をする。


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1976/11/05   3世の追川青年
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 湖畔でキャンプしていたので今朝は暖かかった。いつもの防寒服として着ている雨合羽を着ないで出発しようとしたぐらいだ。しかし、ハイウェイに出てびっくり。手足の感覚がなくなるほど寒い。出発そうそう7382フィートの峠を超え、レイクタオーの町に着く。カフェーに入ると寒かっただろうとコーヒーを何杯も注いでくれる。
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 レイクタオーは、カナダの湖のように美しかった。針葉樹林に囲まれたブルーの湖だ。このあたりの道路は、日本の山道と少しも変わらない。ヘアーピンカーブの後、すぐに急勾配の上り坂になる。ギアーを一速にして登る。森林の中に入っていくと非常に暗くなった。
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 7000フィートから2411フィートのグラスバレーまで、ブレーキをきしませての下り坂だ。太平洋まで下り坂が続く。
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 ハイウェイは森の中を下っていき、グラスバレーに近づくにつれ、針葉樹林から広葉樹林へ変わっていった。さらに下ると、森はなくなり、畑と農場になった。マリスビルからは平坦なハイウェイになった。
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 ここでアラスカの出入国管理事務所で働いていた3世の追川青年の家を訪ねることにした。2世の両親と非常に元気な80歳のなるおばあちゃんがいた。妹と弟がいて、姉はサンディエゴ、弟はサンフランシスコの大学へ行っているらしい。
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 畑を見せてもらった。大きなコンバイン3台が稲を刈っていた。ここでは田植えなどの作業はない。ヘリコプターで種子をばらまく方式だ。父親は、日本ではなぜ田植えなんかするんだと不思議がっていた。
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1976/11/06
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 おばあちゃんが作ってくれた大きなサンドイッチをザックに入れ、サンフランシスコへ向け出発。中央アメリカへの旅の準備として予防接種、ビザの取得など、たくさんの仕事がある。
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 ルート80号線を通ってサンフランシスコへ前進する。予想とは違って禿山が多いのに驚く。オークランドを過ぎ、サンホセに着いた。ガススタンドの事務所を借りて、おばあちゃんが作ってくてたチーズ、ハム、レタスがはいた豪華版サンドイッチをぱくついた。夢中で全部食べてしまった。
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 サンフランシスコから100キロ南のアプトスという町へ向かう。アラスカで会ったポールの姉さんを訪ねるためだ。
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 サミットパス(1808フィート)を登っている途中でオーバーヒートし、エンジンが止まってしまった。交通量の多い坂の途中だ。バイクを停める場所もない。エンジンが冷えてから、オイルの量を増やして一気に峠を越えた。やはり荷物が多すぎる。
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 ポールの姉のランダの家でしばらく滞在させてもらうことになった。ご主人は大学の教授だ。今は自分の研究期間で、大学へは行く必要がないということで家にいた。ランダは、9歳になる一人娘の母親だが、日本語が上手なので、ガイドの仕事をやっていた。

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